第44話

三十分後。ひとまず話を終えたらしく、二人はゆっくりとボックス席から立ち上がると、それぞれの会計を済ませて喫茶店から出ていく。そして、店の前で互いにおじぎをかわし合うと、またそれぞれ別方向へと歩き去っていった。


 最後まで話を盗み聞きさせてもらって、俺は確信を得た。すっかりぬるくなってしまったコーヒーをグビグビと飲み干してからイヤホンを外すと、俺はぐるっと杠葉さんの方に顔を向けて言った。


「杠葉さん、決まりですよね!?」

「ええ、そうですね……」


 杠葉さんもぬるくなったコーヒーにミルクを少し付け足してから、こくこくと一気に飲んでいく。そんな俺達をカウンターの中にいたマスターが冷めた目で見ていたが、杠葉さんは全くそんなの気にしないで飲み干すと、二人分の代金をソーサーの横に置きながら「ごちそう様でした」と立ち上がった。


「毎度どうもっ……!」


 注文を取ってくれた時は愛想がよかったのに、店を出ていく俺達を見送る今のマスターの顔は苦々しいものになっている。申し訳ない気持ちになりながらも店を後にすれば、杠葉さんは園田幸人が去っていった方向をじっと見据えていた。


「あの、杠葉さん? もしかして、まだ尾行を続けますか?」


 ちらりとスマホの表示時計を見てみれば、もう六時を回っていた。これ以上は晩メシを食い損ねてしまうかもしれないし、そもそも所長直々の特別実践訓練だとか学校の補習だなんて言ってたんだから、残業手当が付かないんじゃないかって不安めいた気持ちもあった。


 ところが予想に反して、杠葉さんは「いいえ」と首を横に振った。


「今日はこれでおしまいです。聡くんも聞いていた通り、二人がああいう会話をしていた以上、依頼主が考えているような事の可能性は限りなく……」

「は、はいっ。俺もそう思います」


 つい食い気味にそう言っていまい、はっと口を両手で押さえる。そんな俺のどこがおもしろいのか、杠葉さんはふふっと小さく笑った。


「聡くん、今日はお疲れ様でした。もう上がりで大丈夫ですよ、続きはまた明日という事で」

「明日、ですか?」

「ええ。今日子ちゃんにこの音声の質を高めてもらってから、一度依頼主に聞かせようと思います。聡くんは明日出勤したら、すぐに依頼主に今日の調査内容をメールで教えて下さい。その後、可能であれば午後にでも私が面会を希望しているという旨も伝えていただければ」

「わ、分かりました。で、でも、あの……」

「何?」

「あ、あれは、やらないんですか?」


 強請りって言葉を往来を行く人達に聞かれたくなくて、ついぼかした言い方をしてしまった。だけど杠葉さんは「さっきも言ったでしょ?」と小首をかしげながらまた笑った。


「強請りなんてしないに越した事はないです。あくまで裏オプションなんだからね?」

「は、はぁ……」

「それじゃお願いね、お疲れ様♪ その服、明日返してね?」


 まるで今の今まで初々しいデートをしていたかのように、杠葉さんはひらひらっと右手を振ってから俺の横をすり抜け、雑踏の中へと紛れ込んでいった。俺はほんの少しの間だけその場に立ち尽くしながら、どういうふうにメールを書けば園田芳江が冷静に事を受け入れられるだろうかと頭を悩ませていた。

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