第43話
「いらっしゃいませ。ご注文は何にされますか?」
「コーヒー二つで」
敢えてカウンター席を選んだ杠葉さんは愛想のいい顔で近付いてきたマスターに口早にそう言うと、すうっと窺うような流し目を園田幸人と新見綾香が座っている一番端っこのボックス席に向けた。
杠葉さんと同じようにコーヒーを注文したらしい園田幸人の目の前にもきれいにみがかれたカップが置かれていたんだけど、彼もそれに口をつけようともせず、新見綾香に難しい顔を向けている。彼女も彼女で、もうすっかり湯気も立たなくなったカップに目を落とすばかりで何も話そうとしなかった。
「……どう見ても、楽しい雰囲気って感じじゃないですね。付き合いたての中学生カップルの方がよっぽどマシじゃないかしら」
小さい声でつぶやくように言う杠葉さん。確かにその通りで、喫茶店の中は絶えず心地いいクラシック音楽の有線放送が程よい音量で流れているっていうのに、まるであのボックス席だけお通夜状態だ。
何とかして会話を聞いておきたいが少し離れている上に、俺達が座っているカウンターの真上には有線放送を流し続けているスピーカーがある。とてもじゃないが、よほどの大声を向こうが出してくれない限り聞こえてきそうにない。
それは杠葉さんも理解できたのか、やれやれと言ったため息を吐く。それと同時にマスターが淹れたてのコーヒーを持ってきてくれたので、俺はひとまずそれを一口飲もうとしたんだけど。
「ちょっ……杠葉さん?」
「しっ。しゃべらないで下さいって言ったでしょ」
杠葉さんもあの二人と同じようにコーヒーには口をつけず、持っていた小さめのショルダーバッグから何かを取り出してきた。
それは、何だか手のひらに収まる程度の大きさをした筒状の物で、右端にはスピーカーに使われるのと同じような振動板がはめ込まれてあり、左端からは細長いコードが伸びていた。そのコードの先にはスイッチみたいなものが付けられていて、そこからさらに二股に別れた半透明の小さなイヤホンが付いている。何だと思いながら見ていたら、杠葉さんはそれを左手の中に隠すようにして持つと、右端の振動板をボックス席に向けた。
「指向性の盗聴器です、これを耳に付けて」
マスターがカウンターの奥に言った事を確認してから、杠葉さんがさらに小さい声で言いながら右手で俺にイヤホンの一つを渡してきた。
「え、指向性って……」
「今日子ちゃんのお手製で、録音機能も備わった優れものです。少し雑音が混じるかもしれませんが、この距離なら何とか聞き取れるでしょう」
えっ⁉ 今日子ちゃんの自作!? おいおい、こんなコンパクトな盗聴器、うちの大学の工学部にいる後輩だって作れねえぞ!? パソコンでのハッキング能力といい、今日子ちゃんっていったい何者なんだよ……?
言いたい事は山ほどあったけど、しゃべるなって言われたことの意味を理解できた俺は無言で小さく頷いてから、渡されたイヤホンをそっと左耳に付けた。すぐに杠葉さんがスイッチを入れてくれたのか、たった数秒でボックス席に座っている二人のゆっくりとした会話が左耳に流れこんできた。
『……本当に、いいんですか?』
『ええ、私は構いません。覚悟はしてきましたから』
ゆっくりと重苦しい感じの二つの声が、俺の口元をぎゅうっと噛みしめさせる。コーヒーの事なんて、すっかり忘れてしまった。
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