第35話

「あ、皆さんこんにちは~。今日も清掃ボランティアに来て下さって、ありがとうございます~!」


 今度はものすごく明るくて若々しい女の人の声が聞こえてきて、俺は助かったとばかりにそっちに顔を向けた。もう何でも、誰でもいい。この収拾つかない上に目立っちまってる状況を何とかしてくれるなら。そう思ったのも、束の間だった。


「あら新見先生、こんにちは。こちらこそ、うちの子がいつもお世話になってます~」


 おばちゃんの一人がそう言いながらぺこりと軽い会釈をしたので、こっちに向かって小走りでやってきた女の人も同じように頭を下げてきた。上下共に少し着古した感じのジャージ姿にナチュラルメイクと地味な外見だが、背中まで届く長い髪を高い位置に結ったポニーテールがゆらゆらと印象的に揺れていた。


 いや、それよりもこのおばちゃん、新見先生って呼ばなかったか? もしかして、彼女が……。


「え、あの……あなたが、新見綾香先生です、か?」


 そう口走ってから、俺はしまったと思った。


 理由は二つ。一つ目は、依頼主の園田芳江から浮気相手の顔写真を見せてもらってなかったから、ここはおばちゃん達から遠回しに話を聞いて情報収集しなきゃいけなかったのに、いきなりターゲットに出くわしてしまった事。そして二つ目は、そのターゲットにいきなり名前を尋ねてしまった事だ。


 これは探偵である以前の問題っていうか、会話としては思いっきり不自然になるんじゃないか!? どうする、どう言ってやり過ごせば……。


 この数秒の間、俺が頭の中で必死に打開策を考えていた事なんて知る由もない女の人――新見綾香は始めキョトンと俺を見ていたが、ツナギ服やらボランティアの腕章を見て安心してくれたんだろう。やがてにこりと微笑みを浮かべると、「はい」と返事をしてくれた。


「いつもお世話になっております、新見です。えっと、失礼ですけど……」

「あっ。お、俺は、曽我さんの遠縁の、者で……」

「曽我さんって、曽我達雄さんですか? 曽我健太君のお父様の?」

「は、はい。今日は、曽我さんに代わって、ここの掃除を」

「そうだったんですか。私、時々学童に顔を出すんですけど、健太君いつもいい子にしていますよ」


 背筋をしゃんと伸ばして、俺の顔をしっかりと見据えてそう言う新見綾香。俺よりほんの何歳か年上なだけなのに、ものすごい大人の雰囲気をまとっている。もう一人前の社会人って感じがして、何だか急にうらやましくなった。


「あ、あの……」


 何か聞き出さなきゃいけないと思った。園田芳江の言う通り、本当に彼女が不倫の相手だって言うんなら、何か決定打になるような事を口走ってはくれないかと。でも、俺が次の言葉を吐き出す前に、グラウンドの方から「新見先生~! 早くドッジボールやろうよ~!」と彼女を呼ぶ複数の子供の声が聞こえてきた。


「は~い、今行く~! それじゃ皆さん、失礼致します。頑張って下さいね」


 もう一度ぺこりと会釈して、新見綾香は子供達の元へと戻って行く。その後ろ姿を見つめながら、おばちゃん達が口々に言っていくのを俺は決して聞き逃がさなかった。

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