第23話

約二時間後、俺はタツさんと一緒にユズリハ探偵事務所を後にした。


 あれから、時間があっという間に過ぎたような気がする。結局俺は、山分けされた札束を強引に押し付けられた上、正社員登用の手続きも済ませてしまった。もちろん、あんな業務内容を知ってしまったからには何とか辞退して、これっきり二度と関わらないようにしようと思ってたのに。


「いいんですか、そんな事言っちゃって?」


 俺が「やっぱりここで働くのやめます」と言った瞬間の、杠葉さんの目が忘れられない。その奥に、まるで狙った獲物は逃がさない猛禽類のようなぎらぎらとしたものが見えたからだ。


「ここで内定を辞退されたら、お父様はさぞお嘆きになると思いますよ?」

「え……」

「勝手ではありますが、聡くんの身辺調査は滞りなく完了しています。もちろん、ご家族に関するあれこれもです。うちに来るまでに、お父様と相当揉められたようですね」

「な、何でそんな事までっ!」

「うちの裏オプションの事を誰にも口外しないとお約束して下さるなら、辞退は認めます。ですが、これから先、どこの会社からも内定をもらえる保証もない状態でご自宅に帰られても針の筵ではありませんか? 失礼ですが就職浪人させてもらえるほど、ご家庭の経済状況はよくないと思いますが」


 どこまで俺んちの事を調べ尽くしてるんだと思ったら、閉口するしかなかった。杠葉さんの言う通り、俺んちは就職浪人を何年もやらせてもらえるほど余裕がある訳じゃない。だから親父は口酸っぱく一流企業へ就職しろと言い続けてきた訳だし。


 今更「正社員になるのやめてきた、当分バイトで食い繋ぐわ」なんて言いながら家に帰った日には、何がどうなるか分かったもんじゃない。最悪の場合、包丁を持った親父に追いかけ回されるかもしれない。そっちの方がよっぽど恐ろしくなった俺は、しぶしぶ諸々の書類にサインと実印をする事となってしまった。


「まあまあ! そんなにしょげ返るなって、聡!」


 今日の業務は終了で、ちょうど帰り道が途中まで一緒だからというタツさんが、そう言って俺の肩をバシバシと叩く。絶対に嘘だ、俺がこのままバックレたりしないかどうか見張る為についてきてるだけだろ……。


「あんなふうに言ってるけどな、杠葉さんは聡の事を気に入ってるって! じゃなきゃ、初日からいきなり裏オプションの事をバラしたりしねえよ? それだけ、お前に素質があるって確信してんだって」


 でかい図体のてっぺんから降り注いでくるオクターブの高い大声は、俺の耳をキンキンと攻撃してくる。頼むからもう少しボリューム落としてくれ。周囲に人気ひとけが見当たらないとはいえ、そんなに大声出してたら誰に聞かれるか分かったもんじゃ……て、何で俺がこんな心配しなくちゃいけねえんだよ!?


 とにかく、肩を叩いてくるのだけでもやめさせようと、俺はタツさんを素早く振り返る。すると、そこに見えたのは、何となく寂しそうな表情で俺の様子を窺っているタツさんの姿だった。

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