第12話

駅を出て、その女の人――じゃなくて、今日子ちゃんの後について歩き出した。これからは一番下っ端な訳だし、いくら会社の方針といっても出会ってまだ何十分と過ぎていない女性をいきなり名前で呼べないと思ったが、今日子ちゃんの方はすんなりと俺を「聡さん」と呼んできた。


「気軽に今日子と呼んで下さって、大丈夫です。杠葉さんから渡された資料を見せていただきましたが、私の方が三つも年下ですし」

「え……? じ、じゃあ十九歳って事……!?」

「はい。二年前に高校を中退して、ユズリハ探偵事務所に入りました。なので学歴自体も聡さんの方が上回ってますから、敬語なんて使わなくて大丈夫です」


 一切俺の方を見ようともせず、前だけ向いて淡々とそう言ってのける今日子ちゃん。どうしてその若さで探偵家業に関わろうと思ったのかと少し考えてしまったが、駅から歩き出してそう経たない頃、目の前に現れた建物を見て、そんな考えはどこかに吹っ飛んでしまった。


 さっきも言ったが、このあたりは有名で業績も上々な会社がフロアを占める大きなビルがいくつも連なっているビジネス街だ。そこを歩く企業戦士達は誰もが堂々と、自信たっぷりに闊歩している。そんな彼らの視界の端にすら留まらないようなビルとビルのすきま。そこからさらに奥へと伸びている路地の向こうに、ぽつんと立っている一戸の小さな建物があった。


 ……いや、建物と呼ぶにはあまりにもお粗末な代物だった。


 かろうじて二階建ての体裁を維持しているものの、全体的に古くさくて壁のあちらこちらにヒビが入っている。一階部分は、無理矢理くり抜かれたかのようなガレージとなっていて、何かしらつめこんだダンボールがいくつも雑に置かれている。そして、ボロボロの壁のすぐ横に取り付けられた錆びだらけの螺旋階段が二階部分の壁に取り付けられたドアへと続いていた。


「ここです」


 そう言った今日子ちゃんの視線は、その二階へと続くドアへと向けられている。『ユズリハ探偵事務所』と墨汁で書かれた木の看板が申し訳程度にドアの横にかかっていた。


 嘘だろ。あんなに美人できれいな杠葉さんが営んでいる事務所が、こんな古くてみっともない二階建てなんて……。


 あまりにも落差がありすぎる現状に、俺が開いた口を閉じられないでいると、そこでようやく今日子ちゃんがこっちを振り返ってきた。


「この辺のビルみたいに大きくて立派な職場を想像してましたか?」


 少し意地の悪い口ぶりだった。


「そんなものは必要ありません。案件をまとめられて、依頼人の話を聞ける場所さえ確保できればそれでいいっていうのが、杠葉さんの絶対方針ですので」


 さあ、行きましょうと今日子ちゃんは慣れた足取りで螺旋階段に向かっていく。俺も続いて螺旋階段に足をかけたが、とたんにギイッと軋む嫌な音がして、首のあたりに鳥肌が立ったのを感じた。

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