第11話

翌日。俺は正社員登用の手続きを取る為、初めてユズリハ探偵事務所を訪れる事になった。


 会社概要にあったユズリハ探偵事務所の住所は、俺の家の最寄り駅から五つほど離れたビジネス街の一角に位置していて、正直驚いた。この辺は就活の面談なんかで何度も足を運んでいたからだ。


 各駅停車の電車に揺られながら、いくつもの高いビルが連なっている立派な街並みとそこを堂々とした振る舞いで闊歩していた企業戦士達の姿を思い出す。あのビジネス街はそれなりに有名で業績も上々な会社が多い。親父が望んでいた企業勤めとは程遠いかもしれないが、そんな会社ばかりが集まっている街に事務所を構えているのだから、杠葉さんの仕事の腕前は相当なものに違いないと、何だか誇らしい気持ちになった。


 二十分と経たないうちに五つ目の駅に電車が到着し、そのプラットホームへと降り立った。訪問の約束は、正午ぴったりとなっている。昼時に近くなり、頭の真上にまで昇り切ろうとしている太陽の光がまぶしかったが、俺には歓迎のクラッカーのように感じられた。


 今日から一ヵ月間が、いわゆる見習い期間だ。この間に探偵のありとあらゆるスキルを吸収して、一人前になる。そして、さんざん俺の事をバカにしまくった親父を見返してやるんだ。そう改めて心に誓った時だった。


「……失礼ですが、岸間聡さんでいらっしゃいますか」


 プラットホーム中に響き渡る駅員の案内アナウンスに、今にも掻き消されそうなくらいの物静かで弱々しい女の人の声が俺の名前を呼んだ。何とかその声を拾う事ができた俺は、ほぼ反射的に横を振り返る。すると、そこにはぴしりとしたパンツスーツに身を包んだ女の人が立っていた。


 ずいぶん、背が低い人だった。杠葉さんはモデルかと思えるくらい身長が高かったけど、この人はその真逆というか。下手したら中学生か高校生に間違われそうなほど小柄で、童顔。おまけに丸縁メガネをかけ、せいぜい肩までしかない髪を二つ分けの三つ編みに結ってたものだから、俺より年下であろう事はすぐに分かった。


 そんな人が、俺に何の用だ? いや、そもそも何で俺の名前を知ってるんだと不思議に思っていると、女の人は静かな手つきで一枚の名刺を差し出しながら言った。


「申し遅れました。私、ユズリハ探偵事務所で内勤をしています、嶋野今日子しまのきょうこです。よろしくお願いします」


 渡された名刺は実にシンプルな物で、ユズリハ探偵事務所の名前と住所と電話番号、そして中央に『内勤 嶋野今日子』の名前以外は色も飾り模様も付いていなかった。それを手にしながら、俺は「は、初めましてっ……」と慌てて挨拶をした。


「今日からお世話になります、岸間聡です。どうぞ、よろしくお願いしますっ……!」

「はい。それでは事務所までご案内致します。杠葉さんはまだ仕事から帰ってきてませんので、それまでは私が代わって会社の説明などをさせていただきますね」


 淡々と、決められたマニュアル通りの説明を口にしているといった感じでそう言う女の人。俺はごくりと一度だけつばを飲み込んでから、「よろしくお願いします」と返した。

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