第10話

それからさほど日を置かずに、ユズリハ探偵事務所の名前が書かれた分厚くて大きな封筒が我が家に郵送されてきた。


 中に入っていたのは、正式な採用通知と会社概要や仕事内容などがまとめられたたくさんの書類。後は探偵事務所への交通アクセス方法と、杠葉さんの代表取締役としての挨拶文が載った一枚の紙片だった。


 始め、俺が探偵事務所に就職した事を、親父は認めなかった。というより、あんまりよく分かっていなかった。


 俺が一流企業に就職できると意味不明な夢を見がちだった親父は、息子が探偵になるだなんて一ミクロンも想定していなかったようだった。だから俺が報告したとたん、きょとんとした顔からすぐさま怒りの形相に変わっていった。


「……何だそれ、探偵!? お前、いくら母さんが好きだからって、二時間サスペンスドラマの観過ぎなんじゃないか!?」

「ちょっ……これはそこの社長さんからの受け売りだけど、警察への協力はしてもわざわざ殺人現場に行かないし、しゃしゃり出ていって犯人を先に捕まえるなんて事もねえんだから!」

「じゃあ、何をして金を稼ぐって言うんだ!?」

「浮気や素行調査、人捜しとかだってさ」

「そんな人様のアラ探しをするより、もっとやらなきゃいけない事があるだろ!?」


 確かに、ある意味で親父の方がド正論だ。少しでも穏やかな将来を望むんだったら、一柳企業とまでは行かずとも、もう少し安定した収入を約束してくれる普通の会社の方がいいかもしれない。


 でも、それらの上役達は、きっとまた俺をちゃんと見ない。口では調子のいい言葉ばかりを並べ立てて、その目は俺の姿も履歴書にだって映してこなかったんだから。


 それなのに、あの時杠葉さんは俺をちゃんと見てくれたし、テニスだけしかやってこなかった手を褒めてくれた。そんな大した事のないはずの行動があの場で行われた事がどんなに嬉しいと思ったか。だからこそ、こういう上司の下で働きたいと心底思えたのだ。


 そんな俺の情熱を全く理解できてないし、いまいち探偵の仕事の内容を分かっていない親父は、最後はそっぽを向いて拗ねたような声でこう言った。


「どうせ、お前の事だ。数ヵ月で音を上げて辞めるに決まっているんだから、今のうちに再就職先でも探しておくんだな」


 本当、よく言ってくれるぜ親父の奴。


 もしユズリハ探偵事務所の初任給が、新卒サラリーマンの相場の2.5倍以上の額だと知ったらどんな顔をするんだろう。後で知って、後悔とかするなよな。


「探偵として長く貢献して下されば、ボーナス額はその働きに応じてどんどんアップします」


 俺は分厚い封筒をしっかりと抱きしめて、そんな事を言っていた杠葉さんの姿を思い出す。そして、今は親父の説得は無理でも、見習い期間って奴をサクサクこなして、思わず腰が抜けそうになるほどの驚愕をくれてやる。俺はそう、心に誓った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る