第7話
「……は?」
椅子に腰かけてからしばらく。今度もマヌケなくらいにたっぷり時間をかけて、俺はそんなたった一音を口にした。
今、この人なんて言った? 探偵事務所? え、マジで? 探偵って言った?
「あ、あの……差し支えなければ、御社の業務内容を教えていただけますか……?」
「ごく一般的な探偵業を想像していただいて結構ですよ」
そう言って女の人――杠葉さんは、またにこりと笑った。
「浮気や素行調査、人捜しにその他もろもろ……ごくまれに、警察の捜査に協力する事もありますが、殺人現場などに行くほどの事まではありません」
「は、はあ……」
「当社はエネルギッシュな新人さんを募集してます。できる事なら大学卒業見込みが出ている若くて体力がある方を……」
「あ、それなら」
大丈夫です。俺、今年度で卒業だし、テニスサークルにも入ってたんで体力には自信があります。
……なんて言いかけた自分の口を、俺は慌てて引き結んだ。
いやいや、確かにどこでもいいから内定欲しいとは思ったけど。探偵事務所って、つまりこの杠葉さんの個人経営って事だよな? 株式にしろ有限にしろ、正直ちょっと不安だ。どこでもいいってのを修正しようか。ひとまず、長く事業が続いていけそうな会社ならどこでもいいにしとこう。
俺も二十二歳なんだから、探偵業が二時間ドラマなんかで観るような仕事をする訳じゃないって事は充分すぎるくらい分かっている。
出先でいきなり殺人事件に出くわして、わずかな手がかりを元に警察よりもずっと早く、それこそ二時間以内で事件をスピード解決なんてしない。何なら崖に犯人追いつめて胸が熱くなるような説得だってしない。さっき杠葉さんが言ってた通り、浮気や素行調査なんかがメインになってくるんだろう。
確か少し前、何かの密着ドキュメントを母親が観ていて、「うわ悲惨、修羅場ね~」と笑いながらせんべいをかじっていた事があった。何だと思ってテレビ画面に目を向けてみたら、依頼主の女性が捜していた夫とその浮気相手を番組が雇った探偵が見事に見つけ出したものの、道のど真ん中で依頼主と浮気相手の目も当てられない醜い殴り合い罵り合いが展開しているところだった。
探偵という仕事に偏見はないし、立派な職業の一つだという事は認めてる。でも、さすがにああいう修羅場が頻繁に起こる職場に身を置くのはどうも気が引ける。つーか、絶対に長続きできそうにない。
さっきも言ったが、負ける試合に臨む気なんて欠片も起きない。適当に挨拶をして早々に退散しようと、俺は椅子から腰を浮かしかけた。その時だった。
「……あなたには、素質があると思います」
俺の顔をまっすぐ見つめながら、杠葉さんがそう言った。
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