第4話

二日後。俺は午前六時半に起き出し、入念にシャワーを浴びて、しっかりと朝食を食べた。そして、もうすっかり扱いに慣れてしまったリクルートスーツを身に纏い、午前八時には家を出た。


 この紺色のリクルートスーツは、半年ほど前に母親が自分のへそくりを崩してまで買ってくれたものだった。初めて袖を通した時は少し固い生地のせいか、あまりいい着心地がしなかったし、ネクタイも初めて締めたから息苦しくて仕方なかった。なのに母親は、スーツ姿の俺を全身くまなく舐めるように見渡した後、「すっかり大人になっちゃって……」とため息を漏らしてた。


「就職が決まったら、新卒用のスーツも買ってあげるからね」


 初めての就活に出かける際も、母親はそう言って玄関先まで見送ってくれたけど、今となってはそれもない。いや、応援してくれる気持ちはもちろんあるんだろうけど、こう百回も落ちまくれば逆にプレッシャーをかけてしまうかもとか思ってるに違いない。親父の鋭い視線から逃げるように食卓から離れた俺の背中に向かって「頑張ってね」と言うだけに留めてくれるあたり、ちょっと安心した。


 今から向かう就活セミナーは、バスで二十分ほど走った先にある図書館の中で行われる。


 五年ほど前に新築されたその図書館は四階建てで、一階ロビーと二階フロアの片隅に珍しく食事休憩コーナーが設けられてたし、四階の大半を占める特別展示室では定期的にプラネタリウム上映会まで開かれるというから、連日のようにたくさんの人が利用していた。以前、レポート用の資料が欲しくて何度か足を運んだ事があったけど、新築という事もあってどこもかしこもきれいで明るく、うちの大学の殺風景でどことなくほの暗い図書室とはまるで雲泥の差だった。


 そんな図書館のすぐ目の前にあるバス停でバスから降り、一階ロビーのエレベーターに乗って三階に向かう。


 三階は大小様々なホールがいくつかある貸出専用のフロアとなっていて、申請が通ればどの企業や個人でも時間単位で借りる事ができる。エレベーターのドアが開いた先に見える一番大きなホールの前に、『合同就職説明会』なんて文字が墨で綴られた簡素な看板が立っていた。


「……っ」


 思わず、生唾を飲み込む。たぶん、いや、絶対にここが最後のチャンスだ。もしこのセミナーでどこにも目をかけてもらえなかったら、その時点で就職浪人が決まってしまう。冗談じゃない、今日ここで決める。もうどこでもいいから、内定をもらうんだ。


 俺は自分を鼓舞するかのように両足に力を入れ、エレベーターから降りる。すると、ホールの前の受付にいた若い女の人が俺に気付いて、にこりと微笑みながら「おはようございます。本日のセミナーにご参加の方ですか?」なんてのんきに間延びした声で話しかけてきた。それが無性にムカついたものの、俺は薄く笑みを返しながら「はい」と答えた。

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