第105話
「大体、兄貴も由佳子さんも大した怪我じゃないんだよ? ちょっと寝てればすぐに良くなるって、医者も言ってたし」
僕の口はとうとう嘘をつき始め、視界もぼんやりと歪み始めた。僕は目に力を入れて、涙が流れないよう必死に努力する。由佳子さんを不安にさせたくなかった。
「本当……?」
由佳子さんが言った。
「コウ、ちゃん……、治るの?」
「ああ、治るよ」
僕は何度も頷いた。
「すぐに元気になるってさ」
「嬉しい……」
由佳子さんの瞳から、涙が一筋流れた。とてもきれいな雫だった。
「コウちゃ……は、助かる、のね……」
「ああ」
「良かった……、コウちゃん……」
由佳子さんのまぶたが、ゆっくりと閉じ始めた。僕が握る左手から、だんだん力が抜けていく。
「由佳子さん?」
僕が声をかけると、彼女の口から小さな言葉が漏れた。
「孝之君、どこ? 前が暗い、見えない……」
「由佳子さん!」
僕は由佳子さんの肩を掴み、大きく揺すった。それでも、由佳子さんのまぶたはどんどん閉じていく。たまらない恐怖が襲ってくる中、僕は由佳子さんの名を呼び続けた。
「由佳子さん‼」
十回以上は呼んだだろうか。光を失いつつある由佳子さんの目が僕をちらりと見て、くぐもった声を出した。
「何だ……。そこにいたのね、コウ……ちゃん……」
由佳子さんがゆっくりと、弱々しく笑う。それはこの十年間、僕が見てきた中で最も優しくて美しく、そして幸せそうな笑顔だった。
「ゆ、か……こぉ……!」
僕は心の底からの感情をこめ、ありったけの声で叫んだ。それなのに、その叫びはちっとも声になっていなかった。
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