第104話
由佳子さんの意識がわずかに戻ったのは、事故から二日目の事だった。うっすらと目を開き、駆け付けて自分を見守っていた両親の声に反応したそうで、僕は兄貴に次ぐ奇跡を喜び、それがずっと続く事を祈った。
だが、その数時間後の事だ。由佳子さんの両親が兄貴の病室を訪ねてきたのは。兄貴の看病疲れの為に父も母も眠っていて、応対したのは僕だけだった。
「由佳子さんに、何かあったんですか……?」
僕が尋ねると、由佳子さんの父親が静かな声で言った。
「由佳子が、あなたと話がしたいと言ってるんです。二人だけでと……」
「え?」
「聞いてやってくれませんか。あの子の意識があるうちに」
由佳子さんの母親も涙ぐみながらそう言う。僕はすぐに病室を飛び出し、集中治療室に向かった。
看護師に案内されて集中治療室の中に入っていくと、頭と両腕を包帯で巻かれた由佳子さんが大きめのベッドの上で横たわっていた。静かな空間の中で、彼女の呼吸音だけがかすかに聞こえてくる。ベッドの横にあるモニターをちらりと見ると、弱々しい心拍の波形が映し出されていた。
「由佳子さん」
僕が声をかけると、由佳子さんは半分ほどしか開けられないまぶたを懸命に動かし、僕の顔を見た。
「たか、ゆき……く……?」
「由佳子さん、あんまり無理しないで。話なら、治ってからゆっくり聞くからさ」
言いながら、僕は由佳子さんの姿を見た。すると、彼女の両親が覚悟を決めた理由がすぐに分かった。彼女の体にかけられたシーツは、下半身の部分から膨らみを失っていたのだ。つまり、彼女の両足はもう――。
「孝之、君……」
今にも消え入りそうな声だった。僕は由佳子さんの声を聞き逃すまいと、必死に耳をすませた。
「孝之君、コウ……ちゃんは……?」
「大丈夫だよ」
僕は答えた。
「兄貴は大丈夫だよ。今は別の部屋にいるから、安心して」
「そう、良かった……」
由佳子さんが、ほうっと静かに息を吐いた。
「コウちゃ……、無事、なのね……」
「ああ」
「孝之君……」
「何?」
僕が聞くと、由佳子さんはシーツの中から左手をそろそろと出してきて、僕に伸ばしてきた。その左手には中指と薬指、そして小指がなかった。
「ごめん、ね……」
由佳子さんが言った。僕は由佳子さんの左手をそっと握った。
「何を謝ってんの、由佳子さん」
「お土産……か、買えなかっ……」
「そんなの、別にいいよ」
僕は笑いながら、首を横に振った。
「また今度、二人に日帰り旅行をプレゼントする。その時、買ってきてくれればいいから」
「……」
「だから、早く良くなってくれよ」
口ではそんな事を言いながら、僕の頭は全く真逆の未来を浮かべていた。どんなにやめろと心で叫んでも、決して止まらない。やがて必ず訪れる現実だと分かっていたから。
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