第98話

滞在四日目、その日は朝から雨が降っていた。天気予報では梅雨前線がほぼ全国を縦断していて、十日間ほど晴れ間は見えないだろうと告げた。


 雨は一日中ざあざあと激しく降り続け、夕方になっても収まる気配はなかった。肩口を少し濡らしながら僕が大学から戻ると、「お帰りなさい」と出迎えてくれる由佳子さんの姿が見当たらない。自室にいた兄貴に尋ねてみれば「この雨だから、今日は実家に泊まるってさ」という答えが返ってきた。


「そうか。今日こそ仲直りできるといいな」

「……」

「じゃあ、俺は部屋で勉強してるから」

「なあ、孝之」


 ふいに名前を呼ばれ、僕は踵を返しかけた足を止める。窓の縁にいた兄貴がじっとこっちを見ていた。


「ちょっといいか? 話がしたい」

「え……、うん」


 僕は兄貴の部屋に入り、後ろ手でドアを閉める。そして兄貴のすぐ目の前に腰を下ろした。


「話って?」

「……お前、俺の事をどう思ってる?」

「は?」

「嫌いか? それとも、憎いか?」


 突然の問いに、僕はうまく答えられない。じっとこちらを見てくる兄貴から慌てて視線を外し、少し経ってから「何言ってんだよ」と答えるのがやっとだった。


「何なんだよ、突然……」

「由佳子がいない時くらいしか聞けないからな」

「こんな時?」

「ああ。由佳子がいない、ちょうどこんな時でないとな」


 兄貴が窓を開けた。相変わらずの大雨で、気を付けないとその音に霞んで兄貴の声を聞きそびれてしまいそうだ。そんな空を見上げながら、兄貴が言った。


「三年前はすまなかったな、孝之」

「え、何言って」

「全部だ。俺が鈍感で無神経だったばっかりに、お前を傷付けた」


 兄貴が振り返る。その顔は、何故か今にも泣きだしそうなほど悲しく歪んでいた。


「お前を悪く言う資格なんて、俺にはなかったんだ。お前の由佳子への想いに気付きもせず、俺達はいつも目の前にいた。あの時のお前の気持ち、今なら分かるよ」

「それを言うなら俺も同じだ。俺も美穂の気持ちに気付かなかったし、そのせいであいつを利用する形になって、最後には傷付けた。そのせいで、美穂は今……!」

「全部、俺のせいだ。美穂ちゃんにもすまない事をした……」

「兄貴のせいじゃない。俺が我慢しなかったから」

「いや、違う。俺のせいだ!」


 ばっと勢いを付けて顔を上げた兄貴の両目には、涙の幕がうっすらと張られていた。


「正直に言う。俺はあの日、初めて由佳子を疑った。バスケで怪我をした時も教育実習の時も、余裕がなくて自分を見失っていた俺を由佳子は懸命に支えてくれた。でもあの日、あまりにも由佳子に思いを寄せるお前を見て怖くなった。本当は由佳子は、お前みたいな奴に惹かれるんじゃないかって。だからイライラして、あの事件を……!」

「だったら、それはやっぱり兄貴のせいじゃないだろ。俺が全部悪い」


 僕が何度そう言っても、兄貴は首を横に振った。

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