第96話

それから、あっという間に一ヵ月が過ぎた。朝早く起きた僕と両親は、家の掃除や片付けでばたばたと忙しかった。


 先日の由佳子さんからの電話では、二人が家に到着するのは夕方過ぎになるだろうという事だった。母は大量の鶏肉を買ってきて、二時間かけて唐揚げを作り上げた。掃除も片付けも終え、やる事がなくなった僕と父は食卓に腰を下ろしていたが、その手足は落ち着かずにそわそわと動いていた。


 午後六時を少し過ぎた頃、家の前で車のブレーキ音が響いた。少し耳を澄ませてみれば、「一万円でお願いします」と由佳子さんの声が微かに聞こえてきた。


「……帰ってきた!」


 僕はバネ人形のように、食卓の椅子から立ち上がった。嬉しさが込み上げてきて、抑えられない。父も母も同じらしく、互いに顔を見合わせて微笑む。僕達は揃って玄関に駆け寄り、そのドアを開けた。


 玄関の向こうでは、一台のタクシーが停まっていた。後部座席のドアが開いていて、そこから由佳子さんがゆっくりと降りてくる。その向こうで、一つの人影がもじもじと小刻みに動いているのが見えた。


「兄貴……?」


 僕がそっと呼びかけにぴくりと反応するも、タクシーからなかなか出てこようとしない。そんな人影に由佳子さんが「コウちゃん」と促すように言った。


「何度も言ったでしょ。ここはコウちゃんの家なんだから、堂々と帰ってきていいの。皆さん、ずっと待ってたんだから」

「……」

「さっきまで練習してた言葉、今言わなきゃ意味ないわよ?」


 由佳子さんが、人影に向かって手を差し伸べる。人影は躊躇していたが、やがてゆっくりと差し伸ばされた由佳子さんの手を握り、おずおずとタクシーから降りてきた。


 少しヒゲが生えていて、三年前よりさらに痩せたような感じはしていたが、そこにいるのは間違いなく兄貴だった。この世でたった一人しかいない、僕の兄貴だった。


「兄貴……!」


 僕は叫んだ。父も母も、代わる代わる兄貴の名を呼ぶ。するとうつむき加減だった兄貴はそうっと顔を持ち上げ、涙を一筋流しながらも笑いながら言った。


「ただいま、皆。ただいま……!」

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