第95話
家に戻ると、僕はこの頃になって習慣付いてきた癖をまた行う。玄関の鍵を開ける前に、ポストの中身を覗き込む事だ。
ポストの裏ブタを開けて、さっと中を見る。中には夕刊の新聞が一部と、若草色の封筒が一通入っていた。僕はほんの少しだけ安心感を取り戻し、それらを持って家に入った。
封筒を持って、自分の部屋に入る。僕宛ての手紙の送り主の名は「西崎由佳子」と書かれてあった。僕は封筒の端をはさみでていねいに切り、中身を引っ張り出した。
三年前。兄貴を追って、刑務所に程近い小さな町に腰を落ち着けた由佳子さんは、そこで再び教師として高校の教壇に立つ事ができた。何ヵ月かして、最初に送られてきた手紙にそう書かれていた時は本当に嬉しかった事を覚えている。
兄貴とまだ籍を入れていない婚約者のままの由佳子さんには、やはり面会の許可は下りなかった。兄貴の方も由佳子さんには会いたがらなかったらしく、彼女が何度刑務所に足を運んでも、看守から頑なに拒否され、唯一許された連絡方法こそがはがきでのやりとりだった。
由佳子さんは一週間に一枚のペースで、兄貴にはがきを送り続けた。
自分がすぐ近くの町にいる事。そこで教師をしている事。学校の花壇の花がきれいに咲いている事。生徒達と毎日楽しく過ごしている事。そんな取り留めのない事を少しずつ書いては送り続け、最後にはいつも同じ言葉で締め括っていたそうだ。
『私は、コウちゃんをずっと待っています』
兄貴が、由佳子さんからのはがきをどう思っていたのかは分からない。でも、そのはがきに対して返事を出さなかったのは確かで、僕宛ての手紙にはいつもその事が由佳子さんの悲しい文字で綴られていた。
僕達家族からの手紙や面会も拒否していたくらいだから、由佳子さん相手なら尚更だったのだろう。兄貴は出所したら、本気で僕達や由佳子さんの前から姿を消すつもりなのかもしれない……。
僕は由佳子さんからの手紙を広げた。兄貴の分とは違って、僕宛ての手紙は大体一ヵ月に一度の割合で届いた。内容も大体決まっていて、由佳子さんが看守から聞いた兄貴の様子や、彼女の周りで起こった事などがレポートのように細かく書かれている。
今回はどんな事が書かれているのだろうと、僕は目を凝らしてゆっくりと読む。すると、とても喜ばしい報告がそこにあった。
元々が真面目な性格である兄貴は模範囚としての態度が認められ、予定より早く出所する事が決まったという。そして何より、兄貴が由佳子さんと一緒に僕達が待つこの家に帰ってくるという事が綴られていた。
僕は嬉しくて嬉しくて、すぐに両親にもこの事を告げた。
母は声をあげて泣いた。父もそっと目頭を押さえて、喜びを噛み締めていた。兄貴が怪我をさせた相手に対する慰謝料などの支払いで苦労してきた両親にとって、何よりも嬉しい事だった。
その晩、僕は興奮して眠れなかった。兄貴の出所予定日は一ヵ月先となっている。翌日の朝から、僕は部屋のカレンダーの日付に「×」を書き込む癖を作った。「×」が三十個付いたその日が、兄貴と再会できる記念日だった。
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