第94話
†
僕が兄貴や由佳子さん、そして美穂と別れてから三年の月日が経った。僕は教育学部の四回生となり、秋に始まる教育実習の準備に追われていた。
休日はもっぱら図書館にいたし、平日も大学の講義が終われば、学生用の食堂かあまり使用されていない学習ルームにこもって資料や課題とにらめっこをしている。やっている事自体は三年前とあまり変わっていなかったが、自分の欲望を満たす為ではなく、純粋に由佳子さんとの約束を守りたいという気持ちが生まれていた為、以前とは比べようがないほど充実していた。
だが、そうすればそうするほど、過去の自分の過ちが重みを増していく。心身共に傷付けてしまった美穂の事が、どうしても気がかりだった。
別れてからというもの、大学内で美穂と顔を合わす事はなかった。元々、在席している学部も違うし、日によっては講義を受ける時間帯も違う。互いに連絡を取り合わなければ、よっぽどの偶然がない限り、広い大学の敷地内でばったり会うという事もない。
だが、どこにいても美穂の話を聞かない事はなかった。退院してからの美穂の生活も、がらりと変わってしまった。
「……ねえねえ、聞いた? 経済学部の笹川美穂、またやったんだって~」
四限目の講義が終わった直後、僕の隣の席にいた女の子数人が興奮気味に話し始めた。
「かなり修羅場だったらしいよ~。笹川がおっさんとデートしてる時に、奥さんが乗り込んできたんだって」
「マジで⁉ それで⁉」
「いや、結局は笹川がおっさんを捨てた形で収まったみたいなんだけど」
「これでいったい何人目って話? どんだけ手広く男を弄んでるんだか」
どこに行っても似たような話が飛び交う。僕はもう耳を塞ぐ事すらできなくなった。
退院してからの美穂は出会い系サイトを介してパパ活を始めたらしく、その噂はあっという間に大学内に広まった。髪を染め、服装や化粧は派手になり、言葉も選ばなくなった事で同性からは嫌われ、男からもよこしまな目で見られているのは気付いているだろうに、美穂は大学を辞める事なく、ギリギリの単位で進級していた。
何度も美穂のスマホに電話をかけたが、着信拒否されているらしく、いつかけても繋がらなかった。一度家にも行ってみたものの、応対した母親から、美穂は退院後すぐに家を出てしまい、定期的な連絡こそあるものの、どこに住んでいるのかは分からないと告げられた。
美穂の噂を聞くたびに、大学を出る僕の足取りは重かった。美穂の妊娠と流産は大学内の誰も知らない事だったが、それが彼女の心をますます孤独にさせている。僕が無責任だったばかりに、彼女の人生も大きく狂った。美穂の悪評はイコール、僕の愚かさの象徴だった。
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