第93話






「……ダメなんですよ、俺は」


 両手のこぶしをぎゅうっと握り込みながら、僕は佐伯先生に言った。


「俺が自分で全部を壊した。あの事故だってそうだよ。俺が強引に旅行なんか勧めなきゃ、二人は巻き込まれずにすんだのに……!」

「あの事故は、孝之君のせいじゃないわ。たまたま二人の運が悪かっただけで」

「違う!」


 佐伯先生の言葉を遮り、僕は頭を振った。


「きっと俺は、心のどこかで兄貴がまだ邪魔だったんだ。きっとそれを神様か悪魔が見透かして叶えやがったんだ。ちくしょう、どうしてなんだよ……!」


 悔しかった。もう何度目になるか分からない後悔の波が、心の中で幾重にも押し寄せてくる。僕自身が消えてなくなってしまいたいのに、どうして神様や悪魔はそれを叶えてくれないのか。兄貴や由佳子さんの時は、あんなにも容易く……!


 悔しさとふがいなさと悲しさで、ぎりぎりと歯ぎしりを繰り返す僕を、佐伯先生が黙って見守っている。そんな時だった。一対の激しい足音がこちらに近付いてきたのは。


「……佐伯先生! 緒形さんが急変です‼」


 やってきたのは、あの顔馴染みの看護師だった。ずいぶんと息が荒かった為、相当走り回って佐伯先生を捜してたのだと分かったが……ちょっと待ってくれ。今、彼女は何て言った?


 看護師は佐伯先生の側に僕がいる事に気付くと、一瞬だけ動揺の色をその顔に映したが、すぐに表情を引き締めて「緒形さん」と僕に声をかけた。


「緒形さんもすぐに来て下さい、お兄さんが」

「あ、兄貴がどうかしたんですか」

「呼吸不全を起こしてるんです。もう、いつどうなってもおかしくない状態で……!」


 看護師のその言葉に、佐伯先生が走り出す。だが、佐伯先生よりもずっと速く僕の体は動いていた。


 佐伯先生や看護師を置き去りにして、僕は兄貴のいる個室まで一気に走り抜ける。そして辿り着いた先に見えたのは、けたたましい警告音を鳴り響かせる機械に繋がれたまま、真っ青な顔色で苦しんでいる兄貴の姿だった。


「兄貴‼」


 僕は苦しむ兄貴の体にすがりつくように覆いかぶさり、必死に叫んだ。


「まだだ! 頑張れ、頑張ってくれ兄貴‼ 頼むから、まだ……!」


 佐伯先生達が来てくれるまで、僕は何度も何度も兄貴に叫び続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る