第85話
「どうして、そんな真似をした?」
「……」
「答えろ、孝之!」
僕はそのままの姿勢で兄貴をにらみつける。何も知らずに殴る、怒鳴るを繰り返す兄貴が急に憎らしくなった。この数年間でたまっていた思いが、僕の口から言葉となって溢れ出した。
「……本当に、兄貴って罪深いよな」
「何?」
「俺は美穂を逃げ道にしてたんだよ。そしたら忘れられるかもって思ったけど、やっぱ無理で……」
「どういう意味だ?」
「鈍いんだよ、兄貴は! 俺が今までどんな目で、どんな想いであんたらを見てたのか、まるで気付かなかったんだからなぁ‼」
僕の言葉に、兄貴は少しの間黙ってしまった。僕の言っている意味がよく分からないといった感じで立ち尽くしていたが、やがてはっとした表情を浮かべてから僕を凝視した。
「お前、まさか……!」
「そうだよ」
僕は叫んだ。
「俺だって、ずっと前から由佳子さんの事が好きだったんだよ! でも、由佳子さんは兄貴しか見てない。だから俺は、美穂を由佳子さんの代わりにしてた。それだけの事だ!」
「……お前っ、自分が何言ってるのか分かってんのか⁉」
「偉そうに言うなよ、兄貴だって同じじゃないか! 兄貴だって由佳子さんに甘えっぱなしだっただろ。バスケを辞めた時も、教育実習の時も、今の今までずっとな!」
「俺や由佳子を、お前なんかと一緒にするな‼」
「同じだよ‼」
僕達の怒鳴り合う声に気付いたのか、両親が慌てて部屋の前までやってきた。父が「二人とも、何をしてる⁉」と声を荒げるが、僕達の耳にはまるで届かない。僕は兄貴を、兄貴は僕をにらみ続けた。
「……由佳子は、違う」
やがて、兄貴が少し落ち着きが戻った声で言った。
「由佳子は、俺が見えていなかったものをたくさん見せてくれた。そんな由佳子だから、俺は何よりも愛しく思ったんだ。今のお前とはまるで違う‼」
「だから、何が違うんだよ⁉ 確かに、美穂には本当にすまない事をした。でもな、ずっと幸せそうな姿を見せつけられて、俺がどれだけ苦しかったと思ってんだよ⁉ 俺だけを責めるな‼」
僕は全てぶちまけた。兄貴の事、由佳子さんの事、美穂の事が一気にごちゃ混ぜになって、どうにも我慢ができなかった。
「康介、孝之!もういい加減にしろ!」
父が部屋に入ってきて、僕と兄貴の間に立った。
「お前達は兄弟なんだぞ。何をそこまでいがみ合っている⁉」
「……こんな奴は、俺の弟じゃない‼」
兄貴が汚物を見るような目を向けてくる。兄貴の中で、僕に対する憎しみの炎が燃えたぎっているだろうという事など、簡単に想像できた。
「孝之、今のお前は最低だ‼」
そう言うと、兄貴は側にいた父と、ドアの横で心配そうに立っていた母を押し退けて部屋から出ていく。玄関も乱暴に開かれ、家の前にある車のエンジン音が響く。そのまま兄貴の車は、かなりのスピードで走り去っていった。
「最低か。そんなの、誰よりも分かってるんだよ……」
僕は呟く。本気で殴られたせいなのか、それとも兄貴の言葉がよほど効いたのか……。僕は全身の力が抜けて、ベッドにへなへなと腰を落とした。
数時間後、家の電話がけたたましく鳴った。その電話に出たのは母だった。
いつものように「はい、緒形です」なんて言っていたが、一分もしないうちに顔が青ざめていき、その場に立ち尽くす。それからさらに五分ほどして電話を終えても、母は受話器を握り締めたまま動く事ができなかった。
「おい、どうした?」
訝しく思った父が、母の肩に手を添える。僕も母の横に立ち、「どうしたんだよ?」と言った。
「おふくろ。今の電話、何だったんだよ?」
「……警察からだった」
「は?」
母は、あまりにもか細い声で言った。
「康介が人様に怪我をさせて、それで警察に逮捕されたって……」
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