第79話

「……三ヵ月だそうよ」


 いつもの喫茶店で、美穂の母親と待ち合わせた。僕が喫茶店の中に入ると母親は既に奥のボックス席に座っていて、僕がコーヒーを注文し終えた後で発せられた第一声が、それだった。


「え……?」

「昨日の貧血はそのせいなの」


 僕は三ヵ月前の、あの日の事を思い出した。時期的に見ても、間違いない……。


「相手は、あなたよね?」


 母親が僕を見据えて言う。僕は沈黙する事で、肯定を示した。


「分かってると思うけど」


 母親の言葉は続いた。


「あなたも美穂もまだ十九で、学生で……。あの子は嫌がっていたけど、とても無理よ。私も女だし、できればこんな事は口に出したくない。でも、今回は……」

「……」

「こちらとしてはこれ以上事を荒立てる気はないから、今回だけはそちらのご両親に言い付けるような真似はしません。後は任せてもらえないかしら?」

「えっ、でも……」

「本当なら今日、あの子は手術を受ける事になってたの。その前に病院からいなくなってしまって……。助かったわ、ありがとう」


 母親はそう言って、僕に深々と頭を下げる。その体が苦しそうに震えていて、小さな嗚咽も聞こえてきた。


「……そんな事、できません」


 僕はやっとの事で声を搾り出した。


「美穂さんだけつらい思いをさせるなんて、俺にはできません。俺、家族に言います。少ないですけど、俺も費用を」

「ううん、大丈夫だから」


 母親が首を振りながら、きっぱりと言った。


「この事を知っているのは私と主人、そしてあなただけ。これ以上誰かに知られて、娘を追い詰めたくないの」

「……でもっ!」

「孝之さんだって、そうでしょう? 家族や親しい人に知られたら、あなただって大変になるわ。だから遠慮してちょうだい」


 その言葉が、僕の背中に重くのしかかる。母親と別れて喫茶店を出た後も、ぐるぐると頭の中を巡るように渦巻いていた。


 家族や親しい人に知られたら……?


 そうだよな。両親や兄貴が知ったら、きっと怒るだろうし、それ以上に悲しむだろうし、もしかしたら軽蔑されるかもしれない。由佳子さんだってこの事を知ったら……。


 道すがら、そこまで考えた時、僕の心のどこかでわずかに残っていた想いが一気に蘇り、大きく膨れ上がって爆発した。


 そうだ、由佳子さんに知られたら……。いつの間にか、僕はぶつぶつと呟きだしていた。


「……嫌だ。冗談じゃない、由佳子さんだけには知られたくない。由佳子さんだけには……」


 僕はふらつく足取りでゆっくりと家路を辿る。その間に、僕の中の絶望は、僕という存在を非常に冷徹な人間へと変化させていった。

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