第57話
†
あの時、何もしなければ……。何も気付かないままでいれば……。
あの夢を見た後で昔の事を思い出す時、いつも最終的にこういう考えに行き着く。一度だって誰にも相談した事のない、僕の自己満足な考えだ。それなのに、何も見えない空気の中になる何かを掴もうと伸ばしている両腕は本当にみっともないほど無様で、その次は自己嫌悪へと陥る。もうずっと、この繰り返しだ。
僕はベッドの上で両目を閉じた。その途端、暗闇に包まれてしまう「ここ」――ちょっと目を閉じただけで出来上がってしまうほど安易で身近で、それでいて空虚な感覚がずっと付きまとい、目を開けても決して離れる事のないこの世界が、今の僕には最もお似合いだ。
しばらくそうした後で目を開けた僕はベッドから離れて、机の引き出しをゆっくりと引いた。ぐちゃぐちゃにノートなどを詰め込んだその引き出しの真ん中に、一個の写真立てがある。その中には、満面の笑みを見せる由佳子さんの写真が収められてあった。
これは兄貴が始終大事にしていたもので、事故が起こったあの日も彼の財布の中にあった。事故現場から回収された財布はボロボロになっていたが、奇跡的に中の写真は無事だったので、こうして写真立てに収め直した。
僕は時々写真立てを眺める事で、由佳子さんを想い、兄貴を想い、これまでの事を思い返す。でも結局は、自分自身の罪深さと悲しみに押し潰されそうになり、再び写真立てを引き出しの中に戻してしまうのだ。
あの時、何もしなければ……。いや、そもそも僕がこの世に生まれてこなければ……! そんな事を思っていた時、ふいにベッドの枕元に置きっぱなしだったスマホが着信音を鳴らす。画面には知らない電話番号が表示されていた。
不思議に思いながら通話ボタンをタップし、スマホを耳元に充てる。すると、知らない男の声が「もしもし。こちら、緒形孝之さんのお電話で間違いないでしょうか?」と尋ねてきた。
「はい、そうです。あの、失礼ですがあなたは……?」
「申し遅れました。私、前坂交番に勤務しております
美穂の名前が耳に飛び込んだ瞬間、僕の喉はひゅっと短い音を立てて、ほんのわずかの間だが呼吸をするという事を忘れてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます