第56話
昼休みのチャイムが鳴ったと同時に教室に入ってきた僕を見て、クラスメイト達が好奇の視線を向けてくる中、美穂が慌てて「孝之、大丈夫なの⁉」と声をかけてきた。
「LINE見たけど、今朝退院したばかりでしょ。今日くらい休めばいいのに」
「明日までに反省文提出なんだろ。美穂、今度何かおごるから手伝ってくれよ」
「それはダメ、付き合いはするけど自分で考えなさい」
そう言って、美穂が自分の席に戻ろうとするが、急に聞きたい事ができた僕はそんな彼女の腕をとっさに掴んでいた。
「美穂」
「な、何……?」
突然腕を掴まれて、当然の事ながら美穂は驚いた顔をしてみせる。悪いとは思ったが、この時の僕には腕を離すという簡単な事ができないほどに余裕がなかった。
「お前、好きな男いるんだったよな?」
「何よ、またそんな事言って。その話はどうだっていいじゃない」
「どうでもよくないよ」
僕は軽く美穂の腕を引く。美穂はさほど抵抗もせず、僕のすぐ前に立つ格好になると、観念したように「孝之、どうしたの?」と言った。
「何かあった?」
「美穂。そいつって、どんな奴だ? お前の事、何て言ってる?」
「……何も言ってくれないわ」
美穂が小さく首を振った。
「私の気持ち、何も気付いてない。その人、いつも違う誰かを見てるのよ」
「ふざけた野郎だな」
「仕方ないわよ。私だって自分の気持ち、何も言ってないんだし」
「それってさ……」
「うん?」
「胸の中とかが、痛くならねえか?」
「……」
美穂はすぐには答えず、少しの間考え込んでいたが、やがて意を決したかのように僕をまっすぐに見つめながら言った。
「痛いよ」
「え……?」
「いつも痛い、自分が一番よく分かってるから」
「そっか」
とても鈍い僕は、自分の胸の痛みの正体が何なのか、この時になってやっと知る事ができた。
でも、それがあんなにもつらい「未来」を引き起こす原因になると最初から分かっていたら、僕はきっと何もしなかった。何もしないまま、兄貴と由佳子さんの幸福だけを祈る事ができた。
そんな事にも気が付かないほど鈍かった僕は、やがてとてつもなく卑怯で冷たくて、自分勝手な男に成り下がってしまった。
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