第52話

僕達の場所を全くわきまえない兄弟ゲンカは、周囲の生徒達をあっという間に引き付けた。ほんの少しだけ周りに目を向けてみると、僕達を取り囲むように野次馬の輪ができ始めている。「先生を呼んできた方が良くない……?」などという声も微かに聞こえた。


「お前には関係ないだろ」


 兄貴がさっきと同じ言葉を言った。


「俺と由佳子を、お前の物差しだけで見るな。俺は俺であいつをちゃんと見てる。あいつも俺を理解してくれてる」

「俺にはそうは見えないよ! あんないい彼女をほったらかしてるなんて、兄貴の神経を疑うね! 俺が兄貴なら……」

「お前が俺なら、何だ?」


 兄貴がじっと僕を見つめて、答えの先を促す。僕が兄貴の襟元を掴む両手をさらに強く握り締めて答えようとした時、野次馬の輪の方から由佳子さんの声が聞こえてきた。


「コウちゃん、孝之君! 何してるの⁉」


 野次馬達の間をくぐり抜けながら、由佳子さんの小さな両手が僕と兄貴の肩を掴む。彼ら同様、僕達の騒ぐ声を聞いて駆けつけてきてくれたのだろう。由佳子さんの瞳にうっすらと涙が滲み始めていた。


「二人とも、お願いだから落ち着いて。どうしたの、何があったの⁉」

「どいてろ、由佳子。お前には関係ない」

「関係なくない! 由佳子さんの事を話してるんだろうが‼」

「うるさい、お前もいい加減に離せっ‼」


 兄貴が腕を大きく振り上げ、僕の両手を薙ぎ払う。それと同時に僕の両足はバランスを崩し、何歩かよろめいた。


「えっ……」


 次の瞬間、僕は目を大きく見開いた。安定感を無くした僕の体はぐらりと揺れて、ふらついた片足が階段を踏み外す瞬間を脳にまで伝える。そして、何より驚いたのは、僕の手が支えとなるものを得ようとして、一番近くにいた由佳子さんの肩をとっさに掴んでしまった事だ。そうなると当然、由佳子さんもバランスを崩し、僕と一緒に倒れ込んできた。


(しまった……!)


 そう思った直後、強い衝撃が頭に響き、何が何だか分からなくなった。ただ、そうなる直前に誰かの「孝之、由佳子っ‼」と叫ぶ声が聞こえたような気がした。

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