第49話

二学期が始まるとすぐ、兄貴と由佳子さんは他の何人かの実習生と共に僕の高校へとやってきた。全校集会での紹介の際、兄貴と由佳子さんが一年の教室で実習を受けると知った時は、何故かほんのちょっとだけ安心した。


 僕達の教室にやってきた実習生達はよほど落ち着かないのか、毎日小刻みに震えながら何とか一日一日をやり過ごしていたが、兄貴と由佳子さんは学校のOBである上、当時からの恋人同士だという事実効果も伴ってか、一年生の間でずいぶんと人気になっているようだった。


 実習態度も非常に良く、近頃では類を見ない優秀な教生だと、一年を担当している教師と廊下ですれ違う度、僕は幾度となく兄貴を褒められる。だが、兄貴が褒められれば褒められるほど、僕は由佳子さんが可哀想で仕方なかった。実習が始まってからの兄貴はますます自分の事だけで手いっぱいなのか、由佳子さんを思いやる余裕をさらになくしていた。


 例えば、兄貴のスマホに何度か由佳子さんからの連絡があったが、「後でかけ直す」とだけ言ってすぐ切ってしまい、そのままほったらかしにする。学校での実習が終わればまっすぐ家に帰ってきて、夕飯の時間まで部屋にこもってレポート作成。一家団欒の時間とも呼べるその夕飯もさっさと食べてしまうと、また部屋に戻ってレポート作成……と、こんな感じで完全に一人の世界に入ってしまっていて、僕達家族との会話すらなくなった。


 僕達でさえそういう扱いなのだから、由佳子さんはもっとつらいに違いない。僕は兄貴に対して、徐々にいらだちを募らせていった。






 そんな、ある日の事だった。学校の廊下を一人歩いていると、目の前で兄貴がよたよたした足取りでこちらに向かってきているのが見えた。兄貴の両手には紐で結ばれたプリント類がずしりとぶら下がっている。実習の際に使う資料といったところだろうか。


「兄貴!」


 僕は思わず声をかけ、兄貴の元に近寄った。兄貴も僕に気付き、ゆっくりと顔を上げる。


 僕は兄貴の両手のプリントを指差しながら言った。


「何だよ、これ。重そうだな」

「……次の授業で使うんだ」

「教室まで運ぶのか? 手伝うよ、そっち貸して」


 僕は兄貴の左手のプリントを取ろうと手を伸ばす。しかしそれを掴む前に、兄貴はさっと身をかわして再び歩き出した。

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