第41話
僕がお茶の用意をしている間に、由佳子さんは兄貴の部屋に行ってしまった。
僕は紅茶のパックやお揃いのティーカップがどの棚にしまってあるのかなかなか見つけられず、おまけに火にかけっぱなしだったヤカンの笛がけたたましく鳴り響いた事に驚き、「うわあっ」と間抜けな悲鳴をあげるなどして、やたらと時間がかかった。
それでも何とか三人分の紅茶を淹れたティーカップを乗せたトレイを持ち、僕もゆっくりと二階を目指す。何を緊張しているのか、僕の両手は細かく震えていて、それがトレイにも伝染したのか、カップの中で波紋が幾重にも広がっていくので、少しほろ苦い匂いが僕の鼻孔にすうっと入っていった。
階段を上がってすぐ、僕は兄貴の部屋のドアが少し開いている事に気が付いた。両手が塞がっていた僕には嬉しい幸運だ。すぐにその隙間に入り込もうと身をドアに寄せた時、部屋の中にいる二人の会話がぼそぼそと聞こえてきた。
「……でも良かった、思ったより元気そうで」
「お前はいっつも俺の心配ばっかするんだな。疲れないのか?」
「どうして?」
「どうしてって……」
開いたドアの向こうで、由佳子さんはベッドの端に腰かけて笑っていた。兄貴はまた性懲りもなく起き上がっていたが、その両手は何故か落ち着かないといった感じでもじもじと動いている。よく覗いてみると、兄貴は由佳子さんの顔をまともに見ていなかった。
「だってさ」
兄貴は由佳子さんの顔をちらりと見たが、またすぐに視線を逸らす。声にもいつもの張りがなかった。
「お前に、何の得があるって言うんだよ」
「得?」
「そうだよ。これまで俺の心配したり、そのせいで怒ったり悲しんだりして……。ただ、お前に迷惑かけただけだ」
「クラス委員として。それだと不満?」
「不満というより、疑問」
兄貴はふうっと一つ息を吐いた。深く長く、静かな息遣いだった。
由佳子さんも静かにゆっくりと息を吐いていた。僕は何故かドアの前から動けずに、二人の様子をじっと窺い見ていた。
やがて、また兄貴の声が聞こえてきた。
「何で俺なんかに構うんだ? 今だってそうだよ、お前も受験生じゃん」
「いいのよ、推薦だから。自信あるし」
「俺と同じ所なんだろ、おかしいよ。お前ならもっといい所に行けるのに。何を考えてんだよ」
「ダメなの?」
「何が?」
「……コウちゃんと一緒にいたいと思っちゃ、ダメ?」
僕は息を飲んだ。かっと大きく目を見開き、彼女の言葉を耳の奥で反芻させた。
それはじんじんと鼓膜に疼くような響きを伴っていて、僕の思考を一時的に停止させる。きっとこの時、僕はぽかんとした表情で口元は半開きだったに違いなかった。
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