第39話





 バスケ部を辞めてから数か月。兄貴は大学の受験勉強に専念していたが、ストレスと数日の徹夜がたたって、すっかり風邪をこじらせてしまった。


 三十八度を超す高熱がなかなか引かず、兄貴の咳は止まらなければ食欲もない。医者に診てもらって、一週間分の風邪薬を処方してもらい、後はひたすらベッドで横になるという生活がもう三日も続いていた。


「おーい、兄貴生きてる?」


 平日は父も母も仕事がある為、夕食の時間までは僕が兄貴の面倒を見るという約束だった。この日も学校から家に戻った僕はすぐに兄貴の部屋を覗いたが、案の定、兄貴はベッドの上で咳き込みながら問題集を解いていた。


「やめとけって言っただろ、兄貴」


 僕はつかつかとベッドに歩み寄り、熱のせいで力が弱くなっている兄貴の腕から簡単に問題集を取り上げてやる。すると、兄貴の口から「ああ~……」と不満の声がすぐにあがった。


「孝之ぃ、マジで第一志望やばいんだって……」

「ダメだ、まずは体を治す事考えろよ」


 僕は兄貴の机の上にある参考書まで取り上げ、本棚の奥にしまいこむ。それを見ると、兄貴はチェッと小さく舌打ちをした。


 兄貴は県内で一番レベルの高い大学の教育学部を第一志望とし、それ以外は受験しないと決めているようだった。決して成績が悪い訳ではないのだが、若干の不安要素があるというのが彼の担任の素直な意見らしく、そしてそれを誰よりも理解している兄貴だったからこそ、努力を怠ろうとしなかったのだろう。


 今思えば、僕が大学に行きたいと言った時に吐いた彼のあの言葉は、苦しかった自分の経験を思い出し、同じようなつらさを味わってほしくないといった僕への優しさだったのではないだろうか……。


「受験落ちたら、お前のせいだぞぉ~……」


 ベッドの中でこんなふうにふてくされる兄貴のご機嫌取りの為に、僕は一度台所まで戻って、適当に切ったリンゴを擦りおろす。それを小皿に盛って二階に運んでやろうとした時、ふいに玄関のチャイムが鳴った。


 反射的に腕時計を見るが、僕が帰宅してからまだ三十分も経っていない。母が帰ってくるには、まだ早すぎる時間だ。誰だろうと思い、玄関のドアスコープを覗くと、心配そうにこちら側の様子を窺っている彼女の姿が見えた。

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