第37話






 三人だけの夕食が終わった後で、僕が近々退学するという旨を打ち明けると、父は鋭い目付きでこちらをにらんできた。空いた皿を片付けようと台所に向かおうとしていた母も、驚愕のあまりに両足をがくがくと震わせている。


「どういうつもりだ⁉」

「どういうつもりも何も……」


 怒りを隠そうともしない父の言葉に対して、僕はさも当たり前であるかのように答えた。


「この先も、俺がずっと兄貴の面倒を見るって話だよ。これから仕事も見つけて、親父の倍以上は働いて稼ぐ。とにかく、兄貴の事は全面的に俺に任せてほしいんだ」

「何をバカな事を言ってる。このご時世、どこの会社がそんな中途半端な学歴の人間を雇ってくれると……!」

「あの事故の日から、もうずっと考えていたんだ。俺が兄貴の世話をする。必要なら、それこそ一生。だから、大学に行ってる暇なんかないんだよ!」

「ダメよ、孝之!」


 台所から母が駆け寄ってきて、すがりつくように僕の両手を取った。


「お父さんとお母さんが甘え過ぎていたわ、ごめんなさい。あなたはこの半年、本当によくやってくれた。でも、康介は……」

「俺なら大丈夫だよ」

「いいえ。若いあなたにこれ以上の無理は頼めないわ」


 母が首を横に振る。僕の視界の端では、父が覚悟を決めた表情をしていた。


「孝之」


 父が言った。


「お前は大学に戻れ、康介の面倒なら俺が見る。今なら早期退職扱いで会社から退職金も出るし、少しだが貯金だってある。新しい仕事も、康介の状態がもう少し落ち着いた頃にゆっくり探すから心配ない」

「このご時世、どこの会社が五十過ぎのおっさんをそうそう雇ってくれるんだよ? おふくろだって、パートしながら兄貴の世話なんて無理だ。また倒れるぞ」


 最初の頃は、母が兄貴の面倒を見ていた。しかし、体の丈夫さにそれほどの自信がなかった母にパートと兄貴の世話の掛け持ちなど続く訳がなく、しばらくして過労で倒れてしまった。


 母が倒れたのは兄貴が眠っている療養施設の個室であり、その際チェストの上にあった洗面器やら何やらを腕に引っ掛けてかなり大きな音を立ててしまったというのに、それでも兄貴は目を覚まさなかった。あんなに親思いで優しかったのに、まるで無視をするかのように眠り続けている兄貴を見た時、僕は心の底からつらいと感じた。どうしようもないほどに、自分の罪を感じた。

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