第36話
翌日の昼過ぎの事だ。兄貴の部屋のドアが少し開いており、その向こうからやけに騒がしい音が聞こえてくるので、文句を言うつもりで中に入ってみたら驚いた。あれほど大事に磨いてきたトロフィーやきれいな額縁に収めて所狭しと並べていた賞状などをいくつかのダンボール箱に詰め込んで封をし、収納スペースに押し込めようとしていたのだから。
「な、何やってんの、兄貴⁉」
僕がそう言うと、兄貴は「見りゃ分かるだろ」と答えた。
「片付けしてんだよ、暇なら手伝え」
「手伝えって……。いいのかよ?」
「何が?」
「何がって」
僕は兄貴に近付き、まだ封をしていないダンボール箱の中身を覗いた。どれをとっても兄貴の輝かしいバスケ生活の証となるものばかりで、僕では決して手に入れる事などできない栄光の品々だ。それらを兄貴は何の迷いもないと言わんばかりに、ふんふんと鼻歌を歌いながら詰め込んでいく。僕には、どうしても理解できなかった。
「何でだよ」
僕は言った。
「何で片付けんだよ、兄貴」
「何でって、もういらないからな」
「いらないって、そんな訳ないだろ。どうすんだよ、全部詰め込んじまって」
「安心しろ、捨てやしない。でも、もう取り出す事もないかもな」
「だから、何でかって聞いてんだよ」
僕は忙しなく動く兄貴の腕を掴んだ。兄貴の手元から小さなトロフィーがこぼれ、ごろごろと床に転がっていく。
「おい、何すんだよ」
兄貴が僕をにらみつけるようにして言ったが、僕は全く聞かなかった。
「これでいいのかよ、兄貴」
「何が」
「今がダメでも、大学でまたバスケ続ければいいだろ。何で片付けんだよ。これじゃまるで、二度とバスケはやりませんって宣言してるようなものじゃないか」
「成績悪いくせによく分かったな。確かに、俺はもうバスケはやらないよ」
自分の耳を疑う必要がないほど、はっきりと兄貴の口から「やめる」という言葉を聞いたが、一年前とは違うと思えたのは、その言葉の中に清々しい達成感が見て取れたからだ。決してヤケになって言っている訳じゃない。
兄貴は僕の手をそっと外してから、言葉を続けた。
「孝之。俺は俺なりにこの一年、皆に追い付こうと頑張ったよ。実際、何人かには追い付くどころか追い抜いた手応えさえ感じた。嬉しかった、たまらなく嬉しかったよ」
「だったら」
「でも、やっぱり心のどこかではダメかもしれない。レギュラーには戻れないかもしれないって覚悟もしていた。その結果、案の定だったってだけだ」
「……」
「おっと、誤解するなよ。西崎のせいにするつもりはないし、あいつにはむしろ感謝しているんだ。おかげで、新しいものを見る事ができた。バスケの事でも、それ以外の事でもな」
県民体育館の正面入り口でも、兄貴は同じ事を由佳子さんに話していたっけ。それが何なのか知りたくなって、僕は聞いてみた。
「それは?」
兄貴が答えた。
「今のお前には、見えないかもな」
「何だよ、それ」
「俺と西崎と、二人だけの秘密だ」
「嫌らしいな」
「何とでも言え」
くつくつと笑いながら、兄貴は再びダンボール箱と向かい合った。
僕も兄貴に促されるまま手伝う格好となったが、僕は彼が新しく見つけたという「何か」に軽い執着を持った。そして何より、兄貴と由佳子さんが二人だけの秘密を持っているという事が、ひどくおもしろくなかった。
こうして、兄貴のバスケ生活はダンボール箱の中の品々と共に眠りにつき、その後、二度と彼がユニフォームを着てプレイする事はなかった……。
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