第35話
「私が余計な事を言ったせいで……。大事な最後のチャンスだったのに」
「……」
「本当に、ごめんなさい」
由佳子さんは小さく言うと、黙り続けている兄貴に向かって深く頭を下げた。
僕は由佳子さんと初めて出会った一年前の事を思い出した。彼女はきっと、兄貴の頬を張った後に言った言葉の事を謝っているに違いない。そう思ったら、僕の中に怒りが生まれた。
何故、由佳子さんが謝らないといけない? 小学生だった僕が稚拙な励ましすらできず、やりもせずにいた事を彼女は見事にやってくれたんだ。兄貴のプレイが見たいという、それだけの理由で。ただのクラスメイトという、あまりにもか細い繋がりでしかなかった彼女がやってくれたのだ。それなのに……。
僕は視線を由佳子さんから兄貴の背中へと移した。兄貴、何とか言えよ。何で黙ってるんだよ……!
「……何で、西崎が謝るんだよ」
少しして、やっと兄貴がしゃべった。膝に押し付けていた顔をゆっくりと持ち上げて、由佳子さんをじっと見つめていた。
「俺はお前の言う通り、最後の一年をがむしゃらに突っ走った。それで、自分の想像通りに終わっただけだろ?」
「緒形君、でも……」
「この一年、結構楽しかったよ。今まで見えていなかったもの、見られなかったものがたくさん見られた。もう充分だ」
「……」
「あの時は本当にありがとうな、西崎」
兄貴はそう言って、小さく笑う。それで由佳子さんも少し安心したのか、ほうっと息を吐き出すようにゆっくりと笑うと、そのまま僕達に気付く事なく、兄貴と一緒に晴れた空を見上げていた。
「緒形君、あっちから帰りましょ」
美穂が気を遣うように僕の腕を引っ張り、別の入り口の方を指差す。僕は黙って頷き、正面入り口から離れた。
「何だかあの二人、素敵に見えない?」
美穂が肩越しに兄貴達を振り返りながらささやいたので、僕も同じように振り返った。いつのまにか兄貴は立ち上がっていて、由佳子さんの肩の隣に寄り添うように並んでいる。
夏のまぶしい光が二つの人影を見事に形作り、それが何故かとても美しく見えた。僕は美穂の言葉に返事をせず、再び静かに歩き出した。
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