第34話

それから一時間ほど、僕と美穂は静かに他のチームの試合を観戦していた。


 兄貴達の試合が終わったと同時に、由佳子さんは「ちょっと失礼するわね」と言って離れていったきり、まだ戻ってこない。別に彼女を待っている訳ではなかったのだが、何故かこの場からも離れがたかった。


 何だか小腹が空いてきたが、体育館内に食事ができるスペースはない。とっくに空になってしまったジュースのペットボトルを手の中で持て余しながら、ちらりと隣の席の美穂を見る、すると、彼女の口から小さな溜め息が漏れていたので、僕はこれ幸いとばかりに声をかけた。


「笹川、そろそろ出よっか?」

「……えっ、いいの?」


 一度僕を見てから、美穂はあたりをきょろきょろと見渡す。どうやら僕と同じ事を考えていたらしく、少し不安そうな表情でこんな事を言ってきた。


「西崎さんは? 待たないの?」

「うん」

「いいの?」

「待っててほしいって言われた訳じゃないし、これ以上ここにいたって笹川も退屈だろ? どっかで何か軽く食べてから遊ぼうぜ」


 美穂の退屈そうな様を理由に、僕はすっくと立ち上がる。美穂はまだ心苦しさがあるようで視線を足元に落としていたが、やがてしぶしぶといったていで立ち上がった。


 応援席からロビーに降りると、来た時よりは混雑していなかったものの、それでもまだ始まらない試合の順番を待って体を動かす選手達が何人もいた。彼らの邪魔にならないよう、間を縫うように正面入り口へと向かう。すると、美穂がふいに何かに気が付いたかのように、その肩の向こう側をじっと見つめ始めた。


 あんまり彼女がそうしているので、小さな好奇心を抱いた僕も同じ方向を見やれば、入り口の向こうに二つの人影が見えた。そのうちの一人はユニフォーム姿だ。少しだけ目を凝らしてみれば、それらが例え後ろ姿でも、兄貴と由佳子さんなんだという事が分かった。


 僕の足はそっと、静かに二人に近付いていく。美穂も同じようにゆっくりとついてきた。


 大した事を話すつもりはなかった。強いて言う事があるならば、せいぜい「先に帰るからね」くらいなものだ。しかし、二人の話し声が微かに聞こえた時、僕達の足はぴたりと止まった。


「……ごめんね、緒形君」


 最初に聞こえたのは、由佳子さんの声だった。立って話している彼女に対し、ユニフォーム姿の兄貴はその横でしゃがみ込んで顔を膝に押し付けていた。泣いているのだろうか……?

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