第32話

次の日曜。僕は美穂と待ち合わせをした時間より十五分ほど早く、県民体育館の入り口前に立っていた。


 この日、僕が試合を見に行くという事を兄貴には言わなかった。以前より実力が落ちているはずだと、毎日不安そうに右膝を撫でる兄貴の姿を見ていたら、とてもじゃないけど言える訳がない。かといって、美穂との約束を蔑ろにする事もできなかった。


 僕が先に着いて十分ほど経ってから、美穂が駆け足でやってきた。真っ白なカジュアルウエアに紺色のパンツといった、初めて見るラフな格好だった。


「ごめん緒形君、待たせちゃった?」

「十分も待ったよ」


 僕は腕時計を見せながら、にやりと笑う。美穂は、僕が自分をからかっているだけなのだという事を瞬時に分かってくれたらしく、いつもの優しい笑みを返してくれた。


 僕達は外の自動販売機でそれぞれ好きなジュースを買ってから、体育館の中に入った。やはり中は熱気で蒸し暑く、ロビーで機械音をたてながら動いている大きめのエアコンなどあまり役に立っていない。そんなロビーでウォーミングアップをしている選手達の間を縫うように、何人かの小さな子供が追い駆けっこをしてはしゃいでいた。


 おそらく、ロビーのどこかにいる選手の身内なんだろう。僕は初めてここに来た時の事を思い出して、くすっと笑ってしまう。僕もあの時、彼らのようなわくわくとした気持ちを抑え切れず、試合前の兄貴を懸命になって捜してたっけ……。


 ほんの少し前の事なのに、何だかとても懐かしい。そんなふうに思いながらぼんやり彼らを見ていた僕に、「早くしないと試合始まっちゃうでしょ」と言って、美穂が僕の背中をぐいぐいと押した。







 八割ほど人で埋まっていた応援席に着くと、兄貴のチームの試合はすでに始まっていた。しかし、兄貴は後輩と思しき何人かの選手達と一緒にコートの横のベンチに座っているだけだ。僕は「あれ?」と首を傾げる。


 兄貴と同じ年の仲間達がコートの中で忙しく走り回っているというのに、どうして……。


「そんな。お兄さん、スタメンじゃないの?」


 僕より先に美穂が疑問の声をあげる。僕は何も言わずに、ベンチに座る兄貴の背中を見続けていた。


「点数、開いてるね……」


 美穂が小さい声で言った。確かにコートの両側面に置かれている電光板が照らす点数は、相手チームの方を十点以上も多く表示している。


 まだ前半だというのに、相手チームの選手達は心に余裕があるせいか、嫌らしく笑っているように見えた。瞬時に悔しくなり、僕の両手が固く握りこぶしを作ったその時だった。

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