第30話

「デートのお邪魔をしちゃったかしら?」


 図書館のすぐ前に設置されている自転車置場に向かう途中で、由佳子さんが申し訳なさそうに言った。それに僕と美穂は、同時に首を大きく横に振る。


「わ、私達は友達ですっ。緒形君の読書感想文用の本を探してて……!」

「そ、そうそう! 兄貴と西崎さんみたいな感じですよ!」


 そう言ってから、僕は美穂に由佳子さんの事を紹介した。


 兄貴のクラスメイトである事、僕と由佳子さんが去年の夏に一度会っている事を話すと、美穂は深々と頭を下げて「笹川です、初めまして」と名乗った。


「初めまして」


 由佳子さんもていねいに頭を下げてくれた。それから僕に向き直って、「孝之君」と呼んできた。


「お兄さん……緒形君はどう? あれから少しは元気になった?」

「クラスで兄貴と話さないんですか?」

「それがさっぱり」


 肩をすくめながら、由佳子さんは答えた。


「去年あんなふうに言っちゃってから、ちょっと避けられてる感じがしてね。あれからほとんど口をきいてないんだ。言い過ぎちゃったかな……?」

「そんな事はないと思いますよ」


 僕は、この一年間の兄貴の様子を由佳子さんに話して聞かせた。


 あれからギプスも外れ、ようやく全快した兄貴がそれまで以上に努力を重ねてきた事。以前まで行っていた練習量よりさらにメニューを増やし、遅れた分を取り戻そうと躍起になっている事。高校生活最後のチャンスという事もあってか、大して上手くもないのに墨と硯と筆を持ち出し、大きな白い布に『完全燃焼!』などと気合いのこもった太い文字を書き込んで、部屋の壁に貼り付けている事……。


 そこまで話すと、由佳子さんは安心したようにほうっと長く息を吐く。それを見て、僕は言った。


「兄貴、もうすぐ試合だって言ってましたけど、西崎さんも応援に行くんですか?」


 由佳子さんはこくりと頷いた。


「まあね。あそこまで焚き付けたんだから、最後まで責任は取らないと。孝之君は行くの?」

「行けたら行きます」


 嘘だった。この時の僕は、兄貴の試合を見に行く気などさらさらなかった。


 ただでさえ夏の太陽がじりじりと陰険な攻撃を仕かけてくるというのに、選手達と応援席にいる人々の熱気にあてられてはたまらないと思った。そんな目に遭うくらいなら、冷房が充分利いている我が家でゴロゴロしていた方がマシというものだ。

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