第23話
僕が兄貴の部屋に戻ってきた時、彼はまた怒りを含んだ表情で僕をにらみつけてきたが、すぐに驚愕のものへと変わった。僕の隣に見慣れたクラスメイトの少女が立っていれば、それもそうだろう。
「に、
兄貴は少女を見据えて、そう呼んだ。
(そうか、この人は西崎って名前なんだ……)
僕がそう思った瞬間、目の前で信じられない事が起こった。ベッドの上に座ったままの兄貴につかつかと近付いていった少女が、有無を言わさずその右頬に強い平手打ちを放ったのだ。ばしんという空気を割く大きな音が部屋中に響き渡った。
「……最低っ‼」
兄貴を打った平手をもう片方の手で包むように握り締めながら、少女が言った。
「最低よ緒形君、何を考えてるの‼」
「いきなり何すんだよ⁉」
兄貴は少女の言葉には応えず、ぶたれて赤くなった右頬を押さえながら食ってかかった。
「兄弟ゲンカに、ただのクラスメイトのお前が首突っ込んでくるな! 孝之! お前、こいつに何を吹き込んだ⁉」
どうやら兄貴は、僕が彼女に先ほどの事を告げ口したと思っているようで、怒りの矛先を再び僕へと向けてきた。僕はといえば、兄貴の心外な言葉に身が竦んでしまい、何も言えずにうなだれたまま、兄貴のさらなる怒鳴り声を聞く事しかできなかった。
「答えろ、孝之! お前、こいつに何を……」
「いい加減にしなさいよ」
少女が言葉を挟みながら、兄貴と僕の間に立った。
「孝之君は何も言ってない。勘違いよ」
「勘違い⁉」
「そう」
少女がきっぱりと言うと、その言葉に兄貴は一瞬たじろぐ。彼女はその隙を見逃さず、さらに続けて言った。
「緒形君、バスケ部辞めるつもりなんでしょ? インターハイ出られないから? もう前みたいに動けないから?」
「だから、何だよ」
全く否定をしなかった兄貴に、僕は驚きを隠す事ができなかった。
兄貴が一番大好きなバスケを辞める……?
僕は、兄貴は怪我さえ治ればまた試合に出て活躍していくに違いないと思っていたから、少女の指摘と兄貴の言葉がとても信じられなかった。
「もう決めたんだよ」
兄貴が言った。
「この大事な時期にこんな怪我して、確実に皆と実力差を付けられる。俺の代わりの選手なんかいくらでもいるからな」
「それで?」
少女が問うと、兄貴は「ふん」と鼻を鳴らして、右足のギプスを平手で憎々しげに叩いた。
「この怪我が治ったとして、誰が俺の事をこれまで通り見てくれる⁉ 部活ってのは、結局は実力がものを言うんだ。ドロップアウトした奴はずっとそのままでいるしかない。俺に引退するまで、補欠でベンチに座ってろって言うのか⁉」
僕は子供心に胸が痛んだ。
確かに、中学からずっと皆のエースとして頑張ってきた兄貴にとって、それはあまりに残酷な仕打ちだろう。一番大好きなものであれば、なおさらだ。
兄貴は怪我による練習不足がどれだけ自分の実力やチームに影響するか、とてもよく分かっていた。先ほどの怒りは、決して理不尽なものではない。大好きな、大切なものを手放さなければならない悔しさから来る副産物だったんだ。僕はそんな兄貴に「バスケを辞めないで」と軽々しく言う事はできなかった。
しかし、彼女は違った。彼女ははっきりと「座ってればいいじゃない」と言ってのけた。
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