第19話




 僕が小学六年生になった頃、僕と兄貴の生活パターンは完全にかけ離れたものとなってしまった。


 夜更かしする事を覚えてしまった十二歳の僕は、高校生になるまで続く寝坊癖が付き始め、朝の八時を過ぎなければ起きられないようになり、慌てて朝食を頬張って学校に行くというパターンを繰り返す一方、高校二年生の十七歳になった兄貴は相変わらずバスケットボールで忙しい毎日を送っていた。


 中学の現役時代を華々しい限りで過ごした兄貴は、県内でも有数の強豪校にスポーツ特待生として入学した。周りからの多大な期待をプレッシャーに感じる事もなかったのか、兄貴は普段の部活動に加えて、自主的な早朝ランニングや朝練も欠かさなかった。


 兄貴は他の誰よりも熱心に練習していたせいか、僕が母から「そろそろ寝なさい」と言われるような時間になってやっと帰ってくるといった様子だった。そんな彼の部屋の棚は、季節が過ぎるごとに賞状やトロフィーの数が増えていくが、お互いにそのような生活を送っていれば、当然の事だが顔を合わせる機会が極端に減った。


 それだけでも厄介な事だったのに、兄貴の体格がますますがっちりしてきたせいか、僕は何だか彼が少し怖くなった。


 たまの休日にやっと顔を合わせる事ができても「おはよう」「お休み」、これくらいの言葉をぼそぼそと言う事しかできなくなり、当の兄貴もそんな僕に何を話しかけていいのか分からないといったふうで、ずいぶんとぎくしゃくしたものだ。


 そんな日々が続いた先にやってきた夏休みでの事だった。兄貴に生まれて初めての挫折が訪れたのは。


 この年、兄貴達のチームは地区予選を勝ち抜き、見事インターハイ出場を決めた。僕が試合を見に行く事はなかったが、やはり一年の時からエースで活躍してきた兄貴はチームの大黒柱として、皆から重宝されていた。地方とはいえ、いくつかのマスコミも兄貴に注目し始め、大学や実業団でも充分やっていける選手になるとはやし立てた。


 実際、その時は僕もそう思っていた。この後、何事もなければ兄貴はバスケットボールで大学に進学し、実業団のある会社に就職して、現在とは全く別の人生を送っていたに違いない。未来は約束されていたはずだった。それなのに、兄貴の未来は合宿先の練習試合で跡形もなく壊れてしまった。


 味方からのパスを受け取ろうとした兄貴と、それをカットしようとした相手チームの選手が激しく衝突してしまい、その拍子で兄貴は固い体育館の床に強く叩き付けられた。そして倒れた体勢が悪かった為、右膝の膝蓋骨にヒビが入るという大怪我を負ってしまったのだ。


 合宿先から帰ってきた兄貴を見て、僕達家族は大きく息を飲んだ。顧問の教師から連絡が来たから大体の事情は分かっていたものの、玄関先まで送られてきた兄貴は車椅子に乗っていて、右足は膝から下がギプスで固定されていた。


 兄貴は口元を引き結んで、僕達から視線を逸らす。その両腕が悔しそうに松葉杖を抱えていた。

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