第17話




「少し、痩せたんじゃない?」


 療養施設のカウンセリングルームにある自動販売機の前でコーヒーを買おうとしていた僕の背後から、声をかけてくる人がいた。反射的に振り返ってみれば、そこにいたのはこの施設における兄貴の主治医・佐伯祥子さえきしょうこ先生だった。


 僕の顔を覗き込むように見つめてくる佐伯先生に、僕は口元だけで笑いながら「そんな事ありませんよ」と答えた。


「そんなふうに言われて喜ぶのは女性だけじゃないですか?」

「あら、私は誰にも言われた事ないけど?」

「元々、スタイルがいいからだと思います」

「あら。女は褒められ続けると、余計に美しくなるものよ? 肉体的にも精神的にもね」


 そう言って、佐伯先生はくすっと笑った。


 僕は、この佐伯先生が少し苦手だった。母より年下のようだが、いつも何かを探るようにこちらを見つめてくる様がどうも落ち着かないというか。嫌いという訳ではないのだが、もう少し柔らかな視線を向けてはくれまいかと何度思ったか知れない。


 そんな僕の気持ちを察したのかは分からないが、佐伯先生が急に真剣な表情になって言ってきた。


「孝之君。うちの看護師から聞いたんだけど、大学をお休みしてるんですって?」

「えっ、まあ……」


 あの看護師、余計な事を……。僕が数日前の事を悔やんでいると、佐伯先生はさらに質問をぶつけてきた。


「あの事故からもう半年経つようだけど、それからずっと?」

「はい」

「大丈夫なの?」

「何がですか?」

「何がって……、君自身の事よ」


 僕はその問いには答えられず、押し黙ったままでふいと視線を逸らす。すると、佐伯先生の方からふうっと小さなため息の音が聞こえてきた。


「もう、充分なんじゃない?」

「は?」


 想像もしていなかった言葉までぶつけられ、僕は佐伯先生の方に向き直る。彼女は肩までかかっていた長い髪をゆっくりと払う仕草をしながら、さらに言ってきた。


「どうして君なの?」

「どうしてって、何がですか?」

「周りに、いくらでも手を差し伸べてくれる人はいる。ご両親はもちろん、私やうちの看護師だって全力を尽くします」

「それは感謝してますよ。おかげで俺は。兄貴の事だけ見ていられる」

「それがもう充分だと言ってるの」


 佐伯先生の声が、少しだけ上擦った。僕の答え方にいらだちを感じたのだろう。もしも僕がこの人の立場だったら、僕だってきっとすぐに腹を立てる。


 でも、僕の口から突いて出る言葉は、彼女の神経をさらに逆撫でさせるようなものばかりだった。

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