第13話

僕の『孝之』という名前は、兄貴が付けてくれた。


 兄貴は女の子の名前よりも男の子の名前を考える方が楽しかったらしく、周囲の紙切れに何十、何百パターンの男の名前を覚えたての文字で書き殴り、その中から『たかゆき』と書いた紙を選んで父に手渡した。それを見た父が兄貴の時と同様、自分の名前から一字を取って、『孝之』という名に落ち着いたのだ。


 兄貴はこの時の事を「直感で決めた」と軽い調子で話していた。僕の名前は、飼い主が自分のペットに名前を付けるくらいの気軽さで決定された訳だが、それでもまだまともな名前であってくれた事に感謝をしている。


 兄貴の話を聞く限りでは『たろう』というお決まりのものから、『ひこざえもん』とかいうあまりにも時代錯誤な名前まで考えていたようだ。『たかゆき』で本当に良かった。『おがたひこざえもん』だなんて付けられてみろ。きっと僕は半狂乱の状態で方々を駆け回り、己の改名に全ての力を注いでいたに違いないだろうから。


 生後四日目にして無事に保育器から解放された僕は、その日の朝、初めて母の乳房から直接母乳を飲んだ。うっとりとした表情で懸命に母乳を飲み込んでいく僕を見て、父も母も家族が増えた事の幸せを噛み締めていたそうだ。


 そんな中、ベッドの側で母と僕を交互に見守っていた兄貴がゆっくりと僕に近付き、頭を撫でながら言ったという。


「たかちゃん、僕がお兄ちゃんのコウちゃんだよ。これからずっとずっと、仲良くしていこうね」


 もちろん、今となってはこの時の兄貴の言葉など、僕は全く覚えていない。母乳を飲むのに夢中になるあまり、兄貴の言葉なんて耳に入っていなかっただろうし、仮に聞こえていたとしても、何の意味だかさっぱり分からなかったはずだ。だが、僕に聞こえていようがいまいが関係なく、兄貴は自分の宣言通りに実行した。


 母と僕が退院して家に帰ってきてからというもの、よっぽど弟とのコミュニケーションを欲していたのか、兄貴は何かにつけて僕の世話をやりたがった。ミルクにおむつの交換、抱っこにおんぶ……。兄貴は自分ができそうな事はひと通りやってくれたし、僕が物心つくようになっても飽きずに面倒を見てくれた。


 その頃はもう小学生となっていた兄貴だったが、小学校から帰ると真っ先に僕の元に走り寄ってきた。そして「たかちゃん、今日は何して遊ぼうか?」などと言って、僕を近所の公園に連れ出しては一緒に遊んでくれていたので、周囲からはとても仲の良い兄弟として注目を集めていた。

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