第12話





 今から二十二年前、僕は中小企業に勤める平凡なサラリーマンの父・緒形康孝おがたやすたかと、近所のスーパーでパート勤めをしている母・亜美あみの次男として、この世に生を受けた。


 だが、この世に生まれ出てきた瞬間の事など、僕はこれっぽっちも覚えていない。僕が生まれた日はとてもよく晴れ渡っていたとか、二度目の出産にも関わらず母は難産だったとか、僕が生まれて少し経った時、きれいな虹が空にうっすらと浮かんでいたとか、そんな事を聞かされても実感すら持てない。それどころか、自分自身が生まれた日付や時間でさえも覚えていないのだ。


 この世界に生きる全ての人がそうだろうが、自分以外の誰かに「あなたは何月何日に生まれたんだよ」と言われて初めて、自分の誕生日を認識するものなのである。僕だってそうだった。


 ただ一つ確実だったのは、僕には五歳年上の兄貴・康介がいるという事だった。


 昔、両親から聞いた話だと、兄貴は僕の誕生をとても心待ちにしていたという。母の胎内に僕が宿り、その腹が少しずつ膨らんでいく度に、全身で母に擦り寄っては微笑んでいたらしい。自分が兄になるという実感と、弟か妹となる新しい命が母の中にあるという期待が、何よりも兄貴を幸せな気分にしていたのだろう。


 予定より五日ほど早く生まれてきた僕は、他の赤ん坊と比べるとやや体重が少なかったらしく、生後二、三日を保育器の中で過ごした。特にどこか悪いからとかそんな事は一切なかったそうだが、念の為にというのが医者の説明だった。


 両親もその説明に安堵したらしく、大きな心配や不安を抱く事はなかったのだが、兄貴だけは違っていた。近所の家に預けられていたのを抜け出して、一人で母と僕が入院している病院までやってきた。そして一直線に新生児室へ向かうと、保育器の中で寝息を立てていた僕を涙目で見つめ続けていたそうだ。


 幼かった兄貴には、きっと僕が死んでしまうのではないかと思ったのだろう。その時の事を僕は一度だけ兄貴に聞いてみた事があるのだが、向こうはしっかり覚えていたようで、真っ赤な顔をしながら「そんなの覚えてねえよ!」と小さく怒鳴り返してきた。僕には、それがほんの少しだけおかしかった。

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