第7話
ぴかぴかに磨き込まれた真っ白な廊下はどこまでも長く、まっすぐに続いているような気がする。僕は訳の分からない叫び声まで出していて、すれ違っていく入院患者の驚愕する顔も、看護師が懸命に僕を止めようとする声も無視して走り続けた。
廊下を抜けた西側の階段を三階まで一気に駆け登ると、すぐ目の前にある病室のドアを思い切り乱暴に開けた。その病室は個室タイプであり、その中央に置かれたベッドの上にいる人間しかいない。僕はずかずかと足音を立てながら、ベッドまで向かった。
頭に包帯、頬に大きなガーゼ、右腕にギプスを付けられた上、口元に呼吸器の大きなパイプを咥えさせられていたのは、俺の兄貴だった。ほんの何日か前、数年ぶりに再会して、お互いに心の内をぶつけ合い、やっと許してもらう事ができた、たった一人の優しい兄貴だった。
「何やってんだよ。ふざけてんじゃねえぞ、兄貴……!」
いらだちにも近い感情のままに、僕は眠り続けている兄貴の胸ぐらを掴んだ。
「分かってんのかよ、由佳子さんがどうなったのか……! 今すぐ起きろ、何とか言ってみせろよ! このクソ兄貴‼」
この時、僕はただひたすら悔しかった。怒鳴る事以外、何もできない自分が惨めだった。僕達の周りを取り囲む現実の何もかもが歯がゆくて仕方なく、何度も何度も兄貴の胸ぐらを揺さ振った。
それなのに、兄貴は全く目を覚まさない。体育会系で、どんなスポーツもそつなくこなしていた兄貴の体格は僕よりがっちりしていて、身長だって十センチ以上高い。力も僕よりずっと強く、家での力仕事はほとんど兄貴の役割だった。
ケンカもよくやったが、一度だって勝ったためしがない。あの時もそうだ。本気で殴られて、しばらく動けなくなったっけ……。
それなのに、今、僕の目の前にいる兄貴を僕は知らない。こんなに静かで何も言い返さず、だらりと力が抜けてぴくりとも動かない兄貴は、俺の知らない兄貴になってしまっていた。
どれだけ時間が経っただろうか。僕の事を追いかけてきたのだろうか、ふと背後から担当医の声が聞こえてきた。
「……ご両親にもお伝えしましたが、決して絶望されないで下さい。少ない事例ではありますが、回復された方も確かにいらっしゃるのですから」
「……」
「大丈夫ですか?」
何も答えず、兄貴に視線を落としたままでうつむいている僕を心配してくれたのか、担当医が気遣う言葉をかけてくる。僕は決して振り返らなかった。
「泣いてたまるか、泣いてやるもんか……!」
僕は呪文のように何度も何度もこの言葉を繰り返したが、なお強まっていく窓の外からの雨音にかき消されて、僕自身の耳にも届いてはいなかった。
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