第109話

出勤の時間になって、佐伯麻衣が自宅の玄関を出ようとした時だった。


 ふいに、背中の向こうから「麻衣」と呼んでくる声がして、反射的に振り返ってみれば、そこには家を出ようとする娘を追いかけてきたのか、父の稔彦がいた。


 ああ。そういえばお父さん、今日はお休みだったっけ。ぼんやりそう思っていたら、信じられない言葉が稔彦の口から出てきた。


「き、気を付けて行くんだぞ……」

「え……?」

「鳴海君から話は聞いているが、その、あまり危ない事は……」


 顔をそらしながらも、それでも言葉を繋いでいく稔彦に、麻衣は面食らっていた。


 確かに先日。マッキーの記憶に触れた影響か、右腕にひどい痛みが走ったが、それもあの時だけで今は何ともない。


 だから余計な心配……じゃなくて、余計な嫌味を言われないようにと俊介には黙っていたというのに、何でバレたんだろう。


 いや、それよりもっと重要な事が起こっている。


 お父さんが、あのお父さんが、私に心配の言葉を……。


「うん。行ってきます」


 うまい返事など到底できなくて、麻衣はこみ上げてくる気持ちを何とか抑えながら、玄関を出ていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る