第84話

『あ、鳴海先生。一人で立てるんですか? だったら、先に帰ってて下さい。私、もう少し残って、西宮さんを説得してみますから……』


 お前にそんなのできる訳ないだろ。時間のムダだから、やめろ。ほら、帰るぞ。


 何度もそう言ったものの、麻衣も同じくらい何度も首を横に振った上、しっかり両足を踏ん張らせたので、結局連れ帰る事はできなかった。


 「ほれ、終わったぞい」とタキばあに促されて、よれよれのYシャツに腕を通す俊介の口からわずかに溜め息が漏れる。


 それを見て、タキばあが言った。


「……やっぱり、麻衣ちゃんの事が心配かい?」

「別に?」

「佐伯先生から、くれぐれもよろしくって言われてんだろ? あの子に何かあったら、あんた今度こそ壊れちまうよ?」

「……」

「まだ気にしてんのかい、十年前の事……。あれは仕方なかったよ。ああしなきゃ、あんたが殺されてたんだ」

「……」

「佐伯先生は許してくれたんじゃろ? だったら、その娘である麻衣ちゃんも、話せばきっと……」

「そんなに簡単な話でもねえんだよな」


 自嘲気味に口の端を持ち上げて、俊介は小さな声で言った。


「マジで……かなりキツい。それでも、できればあいつが自分で思い出してくれればって、思ってる。そうすりゃ、きっと……」

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