第79話

玄関の前に立った俊介は、そこにかかっている表札に目を向けた。


 簡素な造りの表札には『西宮』の二つの古びた文字だけが書かれてあって、また俊介の口から溜め息が漏れる。それを見逃さなかった麻衣は、「鳴海先生」とたしなめるような口調で言った。


「頭の中で損得勘定するヒマあったら、早くインターホン押して下さい」

「ちっ、俺の心読めるようになりやがって……」


 軽い舌打ちをした後、俊介は玄関横にあったインターホンのボタンを、とても面倒臭そうに押す。ピンポーン……と、小気味いいチャイムの音がその場で細長く響いた。

 

 だが。


「……出ねえな」

「出ませんね……」


 もう一度押してみるも、人が出てくる様子がない。


 留守か? と呟きながら、俊介は庭にいるドーベルマンを振り返る。彼はまだ庭に面している家の窓に向かって、ずりずりと這っていた。


 こいつはもしかしたら、かなり面倒な事になるかもな。もし、あの犬の飼い主がろくでもない奴だったら…。


 そう考えた俊介は玄関に背中を向け、家の敷地の外に出ようと歩き出す。


 だが、わずか三歩目で麻衣が目の前に立ちはだかり、大きく両手を広げる事で俊介の足を完全に止めた。

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