第46話

「真守ちゃん、やめて! お願いだから、落ち着いてちょうだい!!」


 そう叫ぶ母親の右手の甲には、何かしらの破片で切ってしまったのか、うっすらと線のような一本傷ができてしまっている。それに気付いた父親が慌てて自分のシャツの長袖口を惜しげもなく引きちぎり、応急処置とばかりにその手へ巻いてやりながら「真守、わがままも大概にしろ!!」と叱る姿を見て、真琴もぐっと覚悟を決めた。


 そうだ。確かにこれからはいいお姉ちゃんとしてかわいがってあげなきゃいけないけど、今は……。


「真守君、やめなさい!」


 近くにいたメイドに買い物袋を預けると、真琴は真守のすぐ目の前までやってきて、むんっと腰元に両手のこぶしを当てて頬を膨らませる。これ以上の暴挙は決して許さないという意志の表れだった。


「分かってるよ。これまでのお姉ちゃんの仕打ちが怖くて嫌でたまらなくて、それでうちに帰ってきたくなかったんでしょ!? でもね、だからってパパとママが一生懸命働いて買った大事な物を手当たり次第に壊すのは間違ってる! 暴力を振るいたいんなら、お姉ちゃんを殴りなさい! お姉ちゃんが今まで真守君にしてきた仕打ちの分だけ、お姉ちゃんをいっぱい殴っていいから!」


 さあ! と、今度は腰に当てていた両手のこぶしを開いて、そのまま両腕もゆっくりと広げてみせる。決して抵抗もやり返しもしないからというひと言も添えたが、真守は俯き加減のまま、いまだ顔を上げようともしなかった。


「どうしたの、真守君? 遠慮なんかしなくていいよ? さあ、お姉ちゃんを気が済むまで殴っていいよ」


 少し様子がおかしいと感じた真琴は、両親の「何言ってるんだ、真琴」「やめて真琴ちゃん」と言う声を無視して、真守に再び話しかける。すると。


「……うるせえ、何がお姉ちゃんだ……」


 とても八歳の男の子のものとは思えない、大人ぶったような低い声が返事をしてきた。


「あいにく俺は天涯孤独で、姉貴はおろか両親すらいねえんだよ。それにいくらムカついてるからって、女子高生に手を挙げるほど落ちぶれてねえっての……!」

「え、何言ってるの? 真守く……」

「だ、か、ら! 俺は冴島真守なんて名前じゃねえ!! 何度言えば分かるんだ!!」


 きっと鋭く敵意剥き出しの目をしながら顔を上げてきた真守のそれは、やはり八歳の男の子のものではなかった。いや、確かに姿は冴島真守そのものではあるが、その内にある何かがあまりにも違い過ぎる。真琴はそう感じた。


 まさか……!


「真守君、あなたひょっとして」

「ああ、そうだよ! 俺の名前は……」


 その時だった。この場にいる者達の間に、昨日の茂之のアパートの時と同じすさまじい旋風が激しく舞い降りてきたのは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る