第39話

「そんな所に立たれたら、影になって本が読めないんだけど」

「今、本閉じちゃってるよ?」

「……っ、もう一度読み返そうと思ってたところなの!」


 下手な嘘を指摘された事が恥ずかしかったが、それすらも何とか利用して、真琴はつっけんどんな態度を装ってみせる。そして、先ほどのローストビーフのページまで再びめくってみれば、雄一が少しだけ顔を伸ばしてきて、「ああ、その本!」と共感するように言ってきた。


「僕もその本、借りた事あるよ。レシピがすごく分かりやすくて、僕でも簡単に作れるんだよね」

「え……」

「さすがにローストビーフはまだ作った事ないけど、他だと……インゲンの胡麻和えとか、出し巻き卵のきれいな作り方とか、ゴーヤチャンプルーとか結構できるようになったんだよ」


 雄一のその言葉に、真琴は思わず両目を細くして見つめた。


 本当なら、西村みなみとして、そして雄一の母親としておいしいごはんをたくさん作ってあげたかった。私が死んでしまって、シゲちゃんがあんなふうになって、雄一が一人でごはんを作っているのなら……もうどれだけ長い間、誰かに作ってもらったごはんを食べていないのだろう。


 まだまだ親の手助けが必要な年頃なのに、一緒に生きてあげられなくてごめんねと、真琴は心の中でそう謝る。それとほぼ同時だった。雄一の口が「冴島さん、ごめんね」と切り出してきたのは。


「昨日はあんな事、本当に……」

「えっ!? き、昨日!?」


 思わず、声が裏返る。そして、茂之の胸元にすっぽり収まってしまった自分の姿を思い出して、一気に体じゅうの熱が上がっていくような感覚を覚えた。


 や、やっぱり見られてたんだ、あの時の事。どうしよう、どうしよう。どう軽く見積もっても、転んだのを助けたとかそんな都合のいい想像なんて絶対できないわよね!? そもそも、自分の告白をにべもなくけなした相手が、何でその日のうちに家へ訪ねてきた挙げ句に父親と抱き合ってるんだって話よ! どうしよう、どう言えば……!


 全く言い考えなど浮かばず、真琴はぎゅうっと両目を閉じる。気分はまるで今にも執行ボタンを押されようとする死刑囚だ。もうダメ、名前を呼ばれてしまう。そんな覚悟さえ決めてしまっていた。


 だが、そんな真琴の覚悟に反して、次に雄一の口から出たのはこんな言葉だった。


「冴島さんにとっては、本当に不躾な告白だったよね。確かに、もうちょっと気の利いた言葉とか、あと来てもらう場所なんかも考えるべきだった」


 ……ん!? 何ですと!?


 そろそろと両目を開けて見上げてみれば、雄一はずいぶんと照れくさそうに微笑みながら、頬を指先で掻いていた。

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