第32話

「え? お父さん? そこで何してるの……?」


 ひどく驚いているようなその声に、茂之の胸元に顔をうずめたままの真琴はさあっと血の気が引く思いをした。


 今聞こえてきたのは、聞き間違うはずがない雄一の声!? もしかして、買い物から帰ってきたの!? だとしたら、この状況はとんでもなくまずい!! 自分が好きになった女の子が、よりにもよって父親と玄関先で抱き合ってるような格好を見せてるなんて、昼ドラ以上の修羅場じゃない!! 雄一に嫌われるチャンスと言えなくもないけど、さすがにこういう展開は今生を生きる冴島真琴の後々の人生に大きな影響を与えかねないし、茂之も未成年なんちゃらとかで捕まっちゃう!!


 どうしよう、どうしよう……と心臓が破裂してしまうのではないかと思うほどに焦る真琴だが、顔を上げる事もできずに、ただ「お父さん……?」とゆっくり近付いてくる雄一の足音を聞いているだけしかすべがない。茂之もうまい言い訳ができずに、「お、おい。これはだな……」と焦った声を出す。その時だった。


 ゴウウウッ!!


 突然、季節外れのひどく強い旋風が三人の間を激しく舞った。それはとても目を開けていられないほどであり、三人は反射的に強く目を閉じる。その際、真琴の耳元だけに聞こえてきた声があった。


(逃げるぞ、みなみ! ひとまず、暴れるなよ!)


 えっ? と真琴が何か反応するより早く、彼女の体はふわりと宙に浮かび上がって茂之の腕の間からすり抜ける。そのまま弾かれるようにアパートの外へと飛ばされると、やがて誰もいない道路へと静かに下ろされた。


「えっ? ええっ!?」

(いいから早く逃げろって、面倒な事になる前に!!)


 ……この声、まさかエン!?


 きょとんとする間も与えられずに急かしてくるエンのその声に従って、真琴はこの場から走り出す。その際、ついアパートの方を振り返ってしまったが、旋風はもうやんでしまっていたらしく、玄関に尻もちをついたままの茂之を心配そうに見つめる雄一の姿がちらりと見えた。


「お父さん、大丈夫? 転んじゃったの? 手を貸すから、早く起き上がって……」


 うっすらと、父親を心配している息子の声が聞こえてきて、先ほどはぐっと我慢する事ができたはずの涙がぽろりとこぼれ落ちてきて、真琴は本当に困った。


 本当に、本当にいい子に育ってくれた。よその女子高生を抱きしめているような父親を責めもせず、あんなふうに心配してくれるようないい子に。それなのに、どうしてこんな事に……!


 ぐいぐいと目元を乱暴に拭いながら、真琴はひたすら冴島家に向かって走り続けた。

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