第30話

(何で? 何でシゲちゃん、こんなふうになっちゃったのよ……)


 鼻を押さえる両手を離す事ができないまま、真琴はじっと茂之を見つめる。意図せず、顔を半分隠したままの状態になっているそんな真琴を茂之は不思議そうに眺めていたが、やがて彼女の着ている制服を見て、ピンと来たように口を開いた。


「ああ、その制服……もしかして、雄一と同じ学校の子か?」

「え? あ、はい……」


 そうだった。今生の私は、十六歳の女子高生の冴島真琴だった。その事をうっかり忘れかけていた真琴は鼻を押さえたまま、すくっと立ち上がった。


「わ、私は、成岡高校一年の冴島真琴と申します。こちらの西村雄一君とは同級生でして……」

「へえ、雄一の同級生か。あいにく、雄一ならまだ帰ってねえぜ? たぶん今頃、晩メシの買い出しに行ってると思うからよ」


 ……は? 今、晩メシの買い出しって言った? 真琴の額に、うっすらと青筋が走った。


 さっきお父さんが、雄一を自分の家に引き取るとかどうとか聞こえていたけど……この部屋の尋常じゃない臭さと汚れ具合、それにラジオから漏れ出てる競馬の実況内容といい、まさか常日頃の生活全てを雄一任せにしてるとかいうオチなんじゃ……?


 それなら、父親のあの激怒ぶりも納得がいくと、真琴の怒りのボルテージもみるみる上がっていく。雄一はまだ高校一年生の十六歳で、今が人生で一番楽しくて実りある経験を積んでいける年頃なのに、難関校に在籍し続けるだけの厳しい勉強をこなすだけでなく、こんなダメっぷりが極まっている父親の面倒も見なくてはならないなんて! その上、こんなに口と性格の悪いお嬢様に惚れてるだなんて、あまりにも救いがなさすぎる!


「……晩ごはんくらい、作ってあげたらいいじゃないのよ」


 気が付けば、そんな言葉が真琴の口から出てしまっていた。それに「あ?」と茂之が眉を吊り上げるが、もう止める事はできなかった。


「あんな難しい学校に通ってるんだから、せめておいしいごはんくらい作ってサポートしてあげてよ。こんな気の休まらない生活してたら、いつかあの子潰れちゃう……!」

「何だよ、よそ様の家庭事情がそんなに珍しいのか? 冴島コーポレーションのお嬢様は?」

「え?」

「おいおい。この辺に住んでて、冴島って家の事を知らねえ奴なんていねえだろ?」


 そう言って、茂之はぐぐっと顔を真琴に近付ける。昔は、こんなふうに威圧的に話をするような人じゃなかったのにと、今度はショックのあまり、真琴は顔から両手を離せなくなった。

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