第15話

「…え~、皆さん。お手元に台本行き渡りましたでしょうか。よろしければ、これより配役の紹介に入らせていただきます」


 一時間後。


 映画『悪魔の母性』のキャスト・スタッフが揃っただだっ広い会議室の中、若い助監督の男のやや緊張した声が響き渡る。杏奈はその声を聞いて、思わずキュッと唇を軽く噛みしめた。


 会議室の中心を取り囲むように並べられた長机の数々。杏奈が座っている席の隣では、当然の事だが主役である本郷 湊が座っている。普段は裏方を担当しているのだから、こういう場には一切慣れていないに違いない彼の表情は、杏奈以上に固く強張っていた。


 何か、変だな。ちらりと本郷 湊を盗み見しながら、杏奈はそう思った。


 先ほど長峰智子と言葉を交わした時から、どうも彼の様子が気になった。


 どうしてあんな儚げな表情をしてみせたのだろうとか、以前からあの人の事を知っているような口ぶりだったなぁとか、そんな疑問が頭の中をぐるぐると回っている。だが、そんな事など一切知らない助監督は、本郷 湊の方に顔を向けつつ、やたら大きい声で言った。


「まずは主役の本郷 湊さん。『悪魔の母性』原作者であり、作中で語り部的役割も担う刑事・相沢和清(あいざわかずきよ)役です」


 その声を合図にするように、本郷 湊がすくっと安物のパイプ椅子から立ち上がる。自分の思考に浸っていた杏奈も、ガタンと響いたパイプ椅子の甲高い物音にハッと我に返った。


「…本郷 湊です。何も分からない新人で、皆さんには多大なご迷惑をおかけすると思いますが、精いっぱい相沢さんを演じさせていただきます。ご指導のほど、よろしくお願い致します」


 強張った表情のまま言い連ね、その後ゆっくりと頭を前に倒していく彼に向かって、最初に拍手を送ったのは長峰智子だった。


 先ほど、杏奈を叱り付けた時とは全く真逆の、それこそ母性が窺える優しい微笑みを見せている長峰智子に、彼女はまたおもしろくない気分になった。


(何よ。コウちゃんといい、あのおばさんといい…こいつの何をそんなに特別扱いしてるのよ)


 そうやって、また自分の思考に浸りかけた杏奈だったが、次に助監督が紹介したのは自分だったので、やや慌てて立ち上がり、無難な挨拶を済ませた。

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