第13話

何であんたがここにいるのよという言葉を、杏奈は何とかギリギリのところでのどの奥へと押しやった。


 三日前、「顔合わせの日に、また」と言っていたし、彼が主役の一人である相沢刑事を演じるのならば、大事な顔合わせの日にいなくては全く話にならない。


 だが、彼の格好が杏奈にはどうにも我慢ならなかった。


 あまりにも無頓着すぎるのだ。


 どこの量販店にでも売っていそうな安物のTシャツにGパンを身に着け、その肩には使い古しの色褪せたナップザックなんかをかけている。これでもし、首に入局許可証のプレートをぶら下げてでもいたら、まず間違いなく一般のスタジオ見学者としか思えなかっただろう。


 そんな杏奈の戸惑いには全く気付いていない様子で、本郷 湊はニコッとした笑みを浮かべて「おはようございます」と言葉を発した。


「あれから、大丈夫だった?」

「…あれから?杏奈ちゃん、知り合いかい?」


 きょとんとする田所マネージャーの反応にドキリと肩を震わせるも、杏奈はそれを悟られないように笑顔を返しながら、彼が相沢刑事役の本郷 湊であり、先日たまたま知り合ったのだとだけ告げた。


 先日のあの大失敗の事は、田所マネージャーはもちろん、事務所の誰にも言っていない。当然、父親の茂久にもだ。うっかり話そうものなら、おそらく『悪魔の母性』クランクアップまで、プライベートでの外出は禁止されるに決まっている。


 そうなってたまるかと先手を打ちに出た杏奈に、今度は本郷 湊の方がきょとんとする番になった。


「え、ちょっと向井さ…」

「ええ。あの件に関しては本当に大丈夫なんで、もう気にしなくていいんですよ、本郷さん!」


 余計な事を言わせない為に、杏奈は必死で大声を張り上げる。そんな彼女の向こうから、コツコツと甲高いハイヒールの足音が近付いてきた。


「…静かにしなさい。ここは大騒ぎをしていい場所ではないわよ?」


 突然聞こえてきた注意の言葉に、杏奈と本郷 湊はぴたりと身体の動きが止まる。


 唯一動いたのは田所マネージャーだった。杏奈の側からするりと抜け出すと、そのまま流れるように声の主の前に立ち、深々と頭を下げた。

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