第11話

劇団のお世話になっていると言っていたから、てっきり役者なんだと思っていた。だったら、百歩譲ったくらいでは全然足りないが、それでも少しは納得がいっただろう。


 だが、ふたを開けてみれば、彼は子供向けの人形劇を主に取り扱う小さな劇団の、しかも裏方の人間だった訳で。


 そんな人間にコウちゃんの仕事を奪われてしまったんだと思うと、杏奈の気が晴れる訳もなかった。


「ねえ、コウちゃんは悔しくないの!?」


 ずっと窓の向こうにそっぽを向けていた顔を勢いよく振り向かせて、杏奈は言った。運転中の紘一は彼女を見つめ返す事などできなかったが、それでも口元だけを動かして「何が?」と問い返してきた。


「杏奈と一緒に仕事ができない事か?池浦(いけうら)監督のお眼鏡に適ったのが俺じゃない事か?それとも、本郷さんが主役だって事か?」

「全部!それ全部よ!」


 幼い子供のようにムキになって「そうだ」と言ってのける杏奈に、紘一の頬がわずかに弛む。何だか、自分の分までしっかり怒ってくれる彼女の存在が本当に愛おしかった。


 だが、杏奈の目には紘一のその笑みがどこか余裕ぶっているふうに見えてしまい、ますます怒りがこみあげてくる。車中、助手席という狭い範囲の中で、彼女はイライラと身体を小刻みに揺らせた。


「どうしてコウちゃんじゃダメなの…!?」


 杏奈が言った。


「どんなに贔屓なしに見たって、絶対コウちゃんの方が主役にふさわしいのに。えっと…確か相沢(あいざわ)刑事って名前の役だったよね」

「うん、そうだったな」

「私、コウちゃんが相沢刑事だったら、きっとうまく犯人役できたと思うのに…」

「俺もそう思ってたよ」

「え?」


 ちょうどすぐ目の前に差しかかった信号が赤色に変わり、車は先頭の位置でゆっくりと停まった。


 思いがけない紘一の返答に、杏奈は次の言葉が口から出てこない。赤から青に変わるであろうほんの数分が、やたらと長く感じられた。


「実を言うとさ、今でもそう思っている。相沢刑事の役は、俺が一番ふさわしいって」


 信号をまっすぐ見つめながら、紘一が言う。杏奈の目が少し大きく見開かれた。


「…っ、じゃあ今すぐにでもパパに言って、キャスト変更をしてもらお?今ならきっと間に合う…」

「それは無理だよ、杏奈」

「何で!?コウちゃん、納得してないんでしょ?」

「確かに、スキル的な問題だけで言えば、本郷さんより俺の方がはるかに勝ってるよ。でも、俺は俺の意思で役を降りたんだ」

「どうして?」

「彼の気持ち、かな」


 紘一がそう答えたと同時に、信号が青に変わった。高級車は再びアスファルト道路を駆ける。


「池浦監督を通して、初めて本郷さんと会った時、はっきり言われたんだ」


 紘一が言った。


「『相沢さんは、俺がやります。俺以外に、相沢さんを演じさせたくないんで』…だってさ」

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