第9話
「あの時、俺達以外には店員さんしかいなかったし、お友達が目を光らせていたからね。誰も君のあんな姿を撮っていたりしないよ」
「え…、有美が?」
「いい友達だね。確かに一人、動けなくなった君を撮ろうとしてた店員がいたけど、そいつにカッコよくタンカを切ってた。『私の友達に変な事をしたら許さない』ってね」
「……」
「で、俺にも頼んできたよ。『この子のこんな姿を晒す訳にはいかないから、どこか落ち着いて休める場所知りませんか』って。だから、ここに連れてきたんだ」
「じゃあ、ここは…」
「俺がお世話になってる小さな劇団の倉庫兼稽古場ってとこかな」
よく見てみると、確かにその通りらしく、そのガレージ風の倉庫のあちこちには、舞台に使うのであろう大道具やかつら、小物などが点在している。この粗末な造りのダブルベッドもこれらのうちの一つなのだろう。
自分の不始末の後片付けに疲れているのか、有美はまだぐっすりと眠っていて起き出す気配を見せない。今、何時だろうかとあたりを見回してみれば、奥まった所の壁にかかっている時計は、午前八時を差したばかりだった。
「ところで君、今日は仕事大丈夫なのか?」
男がダブルベッドに何歩か近付いてきて、心配そうに杏奈の顔を窺った。それに対して、杏奈は小さくこくりと頷く。
「今日は私も有美もオフ…いや、お休みだから。あの、私のスマホとか鞄は…」
「そこ。ベッドの脇」
「あ、ありがとう…。あの」
「大丈夫。もうすぐ迎えが来ると思うから」
杏奈が「え?」と聞き返す間もなく、ダブルベッドの位置からは見えない所よりギギィ…とガレージのシャッターが開かれる音が聞こえてきた。
それに続いて、バタバタと急いで駆けてくる一対の足音。その主の顔が見えた瞬間、杏奈はひゅうっと大きく息を飲んだ。
「コウちゃん…!」
「杏奈…バカッ。有美ちゃんにも迷惑かけて」
ぜいぜいと息を切らしながらこちらに向かってくる西宮紘一のそうそう見られない姿に、杏奈は何の反応もできずに固まるだけ。そんな彼女に代わって、男が応えた。
「西宮さん、俺なら大丈夫です。俺も彼女の立場なら、同じくらいムカつくでしょうからね」
「…すみません、本郷さん。俺の事なら、もう気にしなくていいんで」
そう言って、ぺこりと男に向かって会釈をする紘一に、杏奈は首をかしげた。
「コウちゃん?今、本郷さんって言った?」
覚えのある名前だ。まさかとは思うが…。
しかし案の定、紘一が口にした答えは彼女の想像通りのものだった。
「何だ、まだ顔合わせしてなかったのか?彼が今度杏奈と共演する、本郷 湊さんだよ。お世話になるんだから、きちんとお詫びとご挨拶しとけよ?」
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