第99話
あの人は、生島清司を自分が住んでいるアパートの部屋へと招き入れた。そして「私は彼女の担任だった者です」と身分を明かすと、生島清司はほんのちょっとだけ安堵したように息を吐いたが、すぐにぶんぶんと首を横に振ったという。
「彼女の人となりは、拘置所で弁護士の方から何度も聞きました。とても利発で、ご家族にも恵まれ、将来の夢や希望に溢れていた心優しい女の子であったと。それを聞いた瞬間、自分がいかにとんでもない事をしでかしたのか理解できました。刑事さん達からの厳しい取り調べなんぞ、全く苦にも感じなくなるくらいに絶望したんです」
それからは、ひたすら後悔の日々だという。いくら会社の方針であったとしても、基準を大幅に超える労働条件を真に受けていた自分に責任がある。体調も万全とは言えず、家族との時間すら満足に取れないほどの過剰業務はおかしすぎるものだと、何度も何度も思っていた事だったのに――。生島清司はそう言って、あの人が差し出してきたお茶すら手を付けようとしなかった。
「自分の家族にも、ずいぶんと大変な思いをさせてしまいました」
そう言って、生島清司は妻とは離婚した事。その元妻が、自分の代わりに地方で身を粉にして働き、賠償金を僕達家族に払い続けている事。犯罪者の子供だと後ろ指差される事なく、真っ当な人生を歩んでほしいという苦渋の決断の下、子供がいなかった遠縁の家に頼み込み、一人娘を養女として預けた事などを話した。
「特に、妻には本当に申し訳ない。自分とは別れたのだから、もう何も関係ないと突っぱねる事だってできるというのに、私の代わりに賠償金を払い続けてくれているなんて……。出所して、その事を初めて知った時は、思わず死にたくなりました」
「だが生島さん、あなたはこうしてまだ生きている。それだけの理由があるからでしょう?」
元教員らしく、あの人が諭すようにそう問いかけてみれば、生島清司はすぐにこくりと頷いた。
「いくつか、やるべき事があるからです。それらをやり遂げるまでは、死んでも死に切れません。あの世で彼女に合わせる顔もない」
「やるべき事?」
「まず一つは、当然ながら彼女の供養です。この命が尽きるその瞬間まで、彼女にはずっと詫び続けたい」
驚いた事に、生島清司は出所すると、全く脇目も振らず、その足で僕達家族の家へ訪ねてきたという。姉の仏壇に手を合わせたい、僕達家族に心からの謝罪をしたいという一心で。僕はその事を全く知らない。それもそのはずだ、生島清司が家に尋ねてくるたびに応対していたのは父だったのだから。
父は、元奥さんにそうしたように、何度も訪ねてきた生島清司を門前払いした。
貴様には、貴様の尻拭いをしてくれる元女房がいるし、何も知らずにどこかで平然と生きている子供もいるだろう。だが、私達の娘は決して帰ってこない! 貴様の安っぽい謝罪など、自分達家族には何の慰めにもならんのだ。民事裁判を取り下げてやっただけでもありがたいと思え! 二度と来るな!
そう怒鳴られ、バケツの水をかけられた事も一度や二度ではない。しかし、当然の報いなのだからと生島清司は力なく言ったそうだ。
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