第81話

最初の駅に戻ってきた僕は、そのまま家へは戻らずに、学校への道を歩いて進んだ。


 いつも使っている通学路とは違う上に、自転車を使っていなかったから、思っていた以上に時間がかかった。昼時に差しかかってじわじわと上がってきた外気温に、額から汗の粒がいくつも浮き上がってくる。それを何度も何度も拭いながら、僕はまるで見知らぬ土地をたった一人で歩き回っているかのような錯覚に惑わされないように気を張り続けた。


 そうやって歩き続けて、ようやく高校の校舎が目の前に見えてきたのは駅を出て30分以上は過ぎた頃だった。ああ、やっと辿り着いたと安堵しながら、午前中の部活動にやってくる生徒達の為に開かれている門扉をくぐり抜けようとした時、僕はある事に気が付いてきた道を勢いよく振り返った。


「横断歩道……」


 僕の口から、そんな単語がぽろりと出てくる。そうだ、いつもとは全く違う道を歩いてきたものだから、僕はあの交差点の横断歩道を通る事なくここまで来てしまっていた。少なくとも姉と同じこの高校に通う事になってから初めて、姉に会う事なく、ここへ来てしまった。


 しまった、何て事を。これはまずい。いくら何でも失念が過ぎる、姉と会うというルーティンを忘れてしまうなんて。例えどんなに遠回りで時間を食ってしまおうが、絶対にそうしなければならない事だったなのに。


 もしかして、さっきのみゆきさんの言葉に毒され、それが正しかったのかもしれないとか思い始めているとか? やめろやめろ、やめろ! 僕までそんなふうに考えたら、姉があまりにも……! 


 電車の中で湧き上がっていたものとは別の種類である不安を一片残らず追い払いたくて、僕は大きく首を振り回して額の汗と一緒に飛ばしてしまおうと躍起になる。早く、早く。僕と姉の間に不要なものなど、一瞬でも早くどこかへ消え去ってしまえ。


 そんな事を思いながら門扉の側に突っ立っていた私服姿の僕は、たぶん相当目立っていた事だろう。しばらくの間、ずっとそうしていた僕に背後から声をかけてくる者がいた。


「……何をしてるんだい、そんな所で」


 電車の中で最後に思い浮かべていた人の声そのものに、僕は首を振り回す事をやめて、視線だけをそちらに向ける。そこには掃除の時間などによく見かけるように、大きな竹ぼうきを抱えているあの人がいた。


 あの人はとても不思議そうに首をかしげながら、僕の方をじっと見ている。そんなあの人の背中のずっと向こう側にあるグラウンドからは、野球部とサッカー部が練習しているかけ声が何重にもかさばって聞こえてきていた。

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