第79話

「何が誤解だ!?」


 一歩だけ後ろに後ずさってから、僕は言った。


「僕の言ってる事の、何が間違ってる!? 何がどう違うってんだ、言えるもんなら言ってみろ!!」

「間違ってない事の方が多いと思う」


 ぴたりと足を止めて、みゆきさんが答えた。


「あなたのお姉さんは、洋一と出会えてとても幸せだったに違いないわ。でも、その幸せを途中で手放してしまったんじゃないかって私は思ってるの」

「は……?」


 何を言ってるんだ、この女は。姉が洋一さんとの幸せを、自ら手放しただって……? そんな事、あるはずないだろう。


「あんた、自分が何言ってるか分かってんのか?」


 僕は信じられない思いでいっぱいだったが、それでも必死に問うた。


「姉さんに限った事じゃないだろう。目の前いっぱいに広がっている幸せを、自分から放り出す物好きがどこにいるんだ!?」

「私も洋一と出会うまでは似たような事を思ってたし、実際今だって洋一と赤ちゃんとの幸せを手放そうだなんて微塵も思ってない。でも……」

「でも、何だよ!?」

「洋一からプロポーズされた時、お姉さんの話も聞かされたの。当然、私はお姉さんと直接会う事もできないし、話し合う事もできない。だからこそ、その時思ったの。どうしてそんなもったいない事をしたのかって。あなたには、もっともっと幸せになっていい権利も資格もあったのにって」


 そこはみゆきさんの言う通りだった。優しくて美しかった姉には、幸せになる権利も資格もあった。僕達家族と、美喜さんと、そして洋一さんと一緒に。それなのに、どうして。


「どこに、そんな証拠があるんだ……」


 悔しい、悔しい。みゆきさんにそんな事を言われて、腹が立って仕方がない。それを認めたくなくて、僕は無茶な事を言い連ねた。


「そんなもの、姉さんの部屋からも私物からも出てきてない。この12年、誰も分からない事だ。それをぽっと出のあんたなんかに言われる筋合いなんかない!」

「うん、分かってる。差し出がましい事を言ってごめんなさい」


 そう言うと、みゆきさんは僕から顔を逸らし、再び墓石の方に体を向ける。そして、墓石の横の墓標に刻まれた姉の名前を左手の指先で優しくそっと撫でた。


「それでも、お願い。どうかお姉さんに誓わせてほしいの」

「……っ、何を?」

「お姉さんが続ける事のできなかった、洋一との幸せを」


 墓標の前でゆっくりと両膝を折ってしゃがみこんだみゆきさんが、姉の名前に視線を合わせてから言った。


「……あなたの代わりになれるだなんておこがましい事は言わないし、洋一もそれを望んでいません。私がいた手前、十三回忌の時は誰にもうまく言えなかったんでしょうけど、洋一はあなたと過ごした日々を一生忘れられない大事な宝物として、ずっと胸に刻んでいくと誓っていると思います。それが、私を迎える決意をしてくれた洋一にできる精いっぱいの偲び方でしょう」

「……」

「あなたはあの頃の洋一と、確かに幸せだったと思います。でも、今はそれ以上の幸せを洋一と噛みしめる事はできない。だから、あなたが持っていた幸せのバトンを引き継がせて下さい。いつか洋一と私があなたに会いに行った時、ダメ出しなんて一つもされないくらい、ちゃんとやっていきますから」


 お願いします、と最後にそう締めくくったみゆきさんの両目から、涙の雫がいくつかぽろりとこぼれた。それを見たら、どうしてもこれ以上責める言葉が出てこなくなってしまった。


「最後に、一つ聞いてもいいですか」


 ムダな事と分かっていたが、それでも僕はみゆきさんに尋ねてみた。


「あの交差点に、洋一さんと一緒に花束を供えてくれた事はありますか?」


 みゆきさんは僕に背を向けたまま、黙って首を横に振った。

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